人生の転換点 後半 人生を変えた一言

 前回のブログで私の中での内面の変化を書きました。
 いろんな内面の変化があったとしても、10年間リーマンをやっていて、収入なり地位(大した収入や地位ではないですが)を得ていると、歩んできた道を外れることにはかなりの勇気が必要ですよね。なぜ、そこを決断することができたのか。今考えても、よく決断したなと思います。

 決断の背景には、勤めていた会社の仕事内容も関係しています。
 仙台に赴任することになったのは、震災後の東北のためにできることを考えるなどいくつかありましたが、中でも大きなプロジェクトがありました。それが2014年4月末に一段落したというのがあります。

 実は今だから暴露しますが、正直に言うと、そのプロジェクトが「私の中で」自分の仕事に対するモチベーションとあまり紐付けられずにいました。意味や意義は理解しているつもりでした。そして、世の中には好きなことばかりでなく、「やらなければならない仕事」があり、真の実力者であれば自分のモチベーションなど関係なく、もしくはきちんと自分のモチベーションと紐付けて、結果を出すものだろうと。

 責任ある立場でしたし、お給料をもらって仕事をしてますので、会社のミッションは自分のモチベーションとは関係なく、自分なりにベストを尽くして取り組みました。特に最後の1年は休日なんてほとんどなく、土日も東北を駆け巡っていた。
 しかし、今思えばそうやって休みを取らないことで、自分を安心させていたのかもしれません。自分は一生懸命に仕事をしていると、自分に暗示をかけていたのかも。

 そして、その仕事がGW前の2014年4月末に一段落しました。
 プロジェクト終盤は終わったらとにかくどこかに行きたいと思っていました。仙台での最優先事項を仕事にして沢山の事を我慢した1年でもあったので。
仙台に来てからプライベートでも上手くいかないこともあった。会社入ってから10年目、年齢も30歳を越えた。さて、この先どうしようかな。ちょっと離れた場所で少し考えたいなと。

 昔からマチュピチュに行くことが夢でした。あの景色になぜかずっと惹かれていました。
 GW前半の休日の29日とか30日だったと思いますが、後半からいくぞと決めて直前のバカ高い航空券を手配しました。ほんとは、ウユニとか、チチカカ湖とか、ナスカの地上絵とか、そんなところも行きたいなと思いながら、その後仕事もあるから無理でした。3泊6日(飛行機で2泊で空港で1泊含む)だったと思います。これがその時できる最大の私の休暇。泊まるところは成田に行く道中でささっと適当にゲストハウスなどを選んで決めました。

 ロサンゼルス、ペルーのリマ経由でかつてのインカの首都であるクスコ(標高3400m)に降り立ちました。

クスコ

 ちなみにすでに飛行機と空港で2日経過
 3日目の朝にクスコに到着し、荷物をゲストハウスにおいて街を歩き出しました。
クスコのゲストハウス

 このゲストハウスの造りいいなと思います。中庭からそれぞれの部屋の玄関にアプローチする。共用部分も中庭を通っていくんですよね。こんな造りのゲストハウスいいな。でも乗鞍の冬は厳しいですね(笑)
 マチュピチュしか頭になかったので、歩き出してからいろいろ情報収集して、次の日のマチュピチュまでの電車のチケットを手配して、帰りが満席でチケットが取れなかったのですが、まあなんとかなるかと思い(それ運命を大きく左右したのですが)そのままクスコ周辺を探検することにしました。クスコの近くに沢山の遺跡があることを知り、時間もないので1dayツアーに参加して遺跡巡りをしました。
クスコの近くにある遺跡

ツアーバスの中

 ツアーバスの中では子供が乗り込んできて、民謡を歌ってくれました。
 こういう衣装とか歌とかって文化を体験できて良いですよね。乗鞍的な民族衣装って何だろう?

 次の日は朝一でマチュピチュ行きの電車に乗り、3〜4時間かけて麓の街に到着。電車はとってもゆっくりでしたが、快適でした。

マチュピチュ行きの列車①

マチュピチュ行きの列車②

マチュピチュの麓の街①

マチュピチュの麓の街②

 午後から早速バスに乗って、マチュピチュに出かけました。
 本当はワイナピチュという山(下の写真の奥の山)に登りたかったのですが、すでにその日は入山制限人数に達しており行けませんでした。何かを保護するのであれば、この入山制限という考えは一部日本でもありますが、もっと取り入れたいですよね。登山をすることはなくなったので、4時間くらいゆっくりと夕暮れまでただ遺跡の中を歩いたり、座って景色を眺めてました。
マチュピチュ①

マチュピチュ②

 なぜ、こんなところに都市を築いたのか、どんな暮らしがここにあったのかを想像して、ロマンを抱きました。
 座りながらただぼーっとしながら考え始めました。

 弾丸でも来てよかったなー。
 もっとここでゆっくりしたいなー。
 世界の美しい景色をもっともっと見たいなー。
 死ぬまでにどれくらい世界の美しい景色を見れるんだろう。
 次に3連休取れるのっていつだろう。。。取れて3連休かよ。
 何かを得るためには、いろいろ我慢って必要なのかな。
 ここに来れただけ、幸せかー。
 仕事はやりがいあるし、天気好きだし、楽しい時も沢山あるんだよなー。
 温泉宿やりたいなー。いつできるかなー。
 稼いだお金、おれは一体何に使ってるんだろ。
 何のためにお金を稼いでいるんだろ。
 そんな事を悶々と考えていました。

 次の日も朝日をマチュピチュでみたいと思い、朝一のバスに乗ってマチュピチュへ。霧がかかっていて、クリアではなかったですが、それでも幻想的な風景を見る事ができました。

朝霧のマチュピチュ

 そして、あっという間に帰路に。
 途中の街までは当日チケットが取れて電車に乗れました。街の名前は忘れましたが、そこからは電車に乗れず、どうしようかなと駅をフラつき始めたら、海外ではよくありますが、立っている兄ちゃんに乗り合いバスに誘われ、安かったし、子供も結構乗っていたので、大丈夫だろと思いそれで帰ることにしました。私ともう一人旅人が乗りましたが、あとは現地の人でした。その旅人が丁度私の隣に座りました。私よりも少し年齢が上のスペイン人の男でした(名前覚えられなかった。。。)。

 クスコまでのバスの時間は2時間くらいだったと思います。
 旅人は我々2人だけだったので、自然に会話がはじまりました。最初はお互い不安もあったんでしょう、クスコに行くのか?と質問され、Yesと答えた。
この時、安心したんですよね(笑)、きっとスペイン人も。何か事件があってもたぶん2人で逃げられるという安心感(笑)

 それから、今回の旅の話になり、彼は南米をいろいろ旅をしていて、1ヶ月過ぎていて、このまま下って、マゼラン海峡に行く予定でした。はじめは彼の旅に興味があり、私はいろいろ質問をしていました。どこにいった?どこが綺麗だった?など。一通り聞いた後、スペイン人がこの後はどこに行くの?と聞いてきたので、私は今日が最後の日で、このまま日本に向けて帰るんだという話をしたら、彼が言いました。

 「このまま旅を続けて、一緒にマゼラン海峡行かないか?」

 私はこの問いかけに、自分の心が揺れたのを鮮明に覚えています。
 やべっ、面白そう、なんだそれ、行きたい!!!!

 すぐに我に返り、「行きたいけど、仕事があると答えました」
 彼も誘いは冗談半分だったと思います。

 ここからは会話形式で(S:スペイン人の旅人、Y:Yuma)

 S「今回の旅はどれくらいの日程なの?」

  嘘言おうかと思いましたが正直に話ました。
 
 Y「3泊6日」
 
  俄かに信じられないような顔をされ、私の目を見続けて
 
 S「日本から?」
 
 Y「はい」
 
  彼は手を頭にやり、少し呼吸を置いて、再び私の目を見て言いました。

 S「Are you stupid ?=おまえは馬鹿か?」
 

 はっきり目を見て言われました。馬鹿(笑)

 人生を変える一言って、あるんですよね。
 私はこの一言が、胸にぐさーっと電撃が走ったように突き刺さりました。そのスペイン人の目が、怖くはないんですが、とにかく力があり、あの目を忘れられない。
 
 そして、「Yes, I’m stupid」 と答えたのを覚えています。

 それを言いながら、自分が馬鹿であることに気づきました。
 あ、おれって馬鹿だなと(笑)
 
 その後はこの話は終わり、確か日本の文化とか、そういう話をしたと思います。あまり記憶にありません。会話しながら、会話とは別のことを考えていたからだと思います。その別のこととは、自分の人生についてでした。

 我慢して我慢して、それで少し解放されて、取った休日が6日間。
 これが10年勤めて最長記録。
 この先、どれだけいろんな事を我慢するんだろうと。
 我慢の先に何があるのだろう。
 我慢して仕事して何が残せるのだろう。世の中に貢献できるかもしれない。
 でも何を残せるんだろうか。
 てか、残せる事とか考えてもあまり意味ないんじゃないか。
 先の事なんて、誰もわからない。
 ずっと我慢ではないにしろ、やりたいことをやれずに、死んでいくのか。
 定年後まで待つのか?いつだよそれ。
 その時生きてるのか?自由にできるのか?体力あるのか?お金あるのか?
 自分が好きに生きていながら、世の中に貢献できることは沢山あるよ。
 というような事が頭を駆け巡ってました。

 そして結論
 「自分の時間は自分でコントロールしたい」
 「先の事なんてわからないから、もっと今、この時間を大事に、自分が大切にしたいことを中心に考え、気持ちの赴くままに素直にやりたいことをやりたい」
 
 そう考えたら、会社勤めしている限りこれはできないと思い、半年以内に会社を辞める決意をしました。
 なので、転職という視野は一切なかったです。今の日本企業では、上記の2点を実行できる場を私は知りません。よって起業は必然でした。ちなみに、馬鹿と言われたあと、バスの中で自分はすでに頭の中に、「退社」という文字が浮かんでました。帰りの飛行機はすでに退社までのマイルストーンを考えてました。いつどのタイミングでどう辞めるか。立つ鳥跡を濁さず、円満に退社するためにはどうすれば良いのか。期中がいいだろう。それまでに今期の東北の売上計画の目処を立てよう。などと。

 決断する土台は前回のブログ記載したようにすでにできていたからこそ、スペイン人の一言が、一歩を踏み出す後押し(勇気付け)となり、決断に至りました。いつかありがとうと言いたいけど、名前も覚えてないし、写真も撮ってないし、もう会えないだろうな。。。

おまえは馬鹿か?

 「おまえは馬鹿か??」

 この先は実際に辞めるまで、辞めた後どのようにこのGuesthouse Raichoに至ったかを何回かに分けて紹介します。

 補足(要らないかもしれないけれど)
 あくまでもこれは私がいろんな背景があって感じた「馬鹿」です。
 何事も一生懸命はとても素晴らしいこと。時に我慢も必要。多くのリーマンがいなければ今のこの世の中は存在しない。
 大切にしたいことは人それぞれ。それを大切にするために、人には様々な道があると思います。
 
 GWが近づいて来ましたが、お休みとれてますか?
 話せてないエピソードもまだありますので、知りたい方は是非Raichoへ。GWに飲みながら話しましょう!!

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