懐かしいスーツ写真が出てきた。
今回の記事を書くにあたって過去の写真をいろいろ探したが、なかなか一人で写っているスーツ写真がなかった。
働き方改革で高度プロフェッショナル制度が適用されようとしている。
その制度ができる背景、各種問題点、先日の委員会採決に至るまでのデータの不備や議論の進め方、姿勢、などは一旦置いておいて、今までに何度か述べているますが、私が経験したことから、今一度働き方について思うことを書きたいと思います。
実は前職は、この高度プロフェッショナル制度と同じような雇用形態を13年前に私が新卒で入る前の創業当時から適用していた。新入社員はほぼ全員が実力主義の年俸制度が適用された。労働という言葉や残業という言葉はなく、社員は皆、経営者でいようと。もちろん、そうでない働き方も選択できたが、ごく一部だったし、選択しずらい雰囲気だった(同じ社員なのに見られ方が違う)。そして新入社員の初年度の年俸はビックリするほど高額で、たぶん日本のトップだったんじゃないかと思うほどだった。
就職活動の時、私は早く自分で稼げる大人になりたかったので、この実力主義と年俸制度に希望を抱いていたし、それが入社の一つの理由であったことは間違いない。
特に、入社3年目まで、私はたぶん、日本の世の中の22歳~25歳の中で、一番働く時間が長かったんじゃないかと思うほど仕事をした。1年目は365日のうち、会社に通ったのは350日ほど。残りの15日も完全OFFと呼べる日はたぶん5日くらいだった。0時前に帰宅できたらラッキーで、帰りは2時とか普通。4時とかも結構あって会社の18階のフロアに朝日が照らされた経験も何度も。朝は1年目は7時には出社して掃除。2年目以降は8時半。残業代はゼロ、というかそういう考え方はない。年俸に含まれているという考え方。もちろん自分の仕事の効率が悪かったからこうなったというのもある。
今だったら、ありえない話ですね(笑)
ちなみに前職も自分が辞める前から少しずつ変わっていて、今は一般的な企業と同じような感じになってきている。
当時、確かにやらなきゃいけない仕事も沢山あったけど、自分で仕事を選択しているという意識もあったし、結果も出ていて、それなりに評価を受けていた。「パワーは使うやつに与えろ」と言われた通り、会社は私にどんどん裁量を与えてくれた。大変だったがとても充実していた。
私は営業職で、入社1年目が終わる春には、社内の営業部の中で年間最多新規顧客獲得賞、入社3年目で年間最高売上賞を獲得した。20代前半の若造が、大企業の上層部に経営戦略的な提案をぶちまけるほど、怖いもの知らずだった。ある1社の年間売上を最終的に5倍になる道筋を立て、途中で香港に行くことになったので担当を引き継いだが最終的にはそうなった。その取り組みは東洋経済などの雑誌にも取り上げられた。
もちろん、自分一人の力だけではない、会社、上司や運営・開発チームの全面バックアップがあったからこそ実現できたこと。その時、その業界がとても好調であったことも関係している。ただ、私はその仕事に命を懸けるほど、情熱をかけたことは事実。この取り組みによって、船舶の安全運航が強化されたことは間違いないと思うし、それが業界の標準になった。ほんとにやりがいのある仕事だったし楽しかった。
私はミーハーだったので、スーツケースを片手に、世界の国際空港をカッコ良いスーツを着て、行き来するイケてるリーマン姿を目指していたので、上司にいつかは海外で仕事をしたいと、機会ある度に言っていた。成果も出していたし、自分の希望を逐一吹き込んでいたこともあり、4年目(25歳)で香港赴任という大役が回ってきた。給料も20代半ばではなかなかもらえない額にもなっていた。そして、私は香港生活でいろいろ揉まれて、全くしゃべれなかった英語がある程度の会話であればできるレベルになって帰ってきた。
ここで、一応ですが、自分の過去を自慢したいわけではないです。
要するに、実力主義の年俸主義という環境が自分を成長させてきた部分があるということ。
それによって、世の中に貢献できたことは確かにあったということ。
その環境がなかったら、今の自分はいないということ。
その時貯めたお金を自己資金に起業できたということ。
だから、「私」にとってみれば、その時の実力主義と年俸主義という制度に感謝するところがある。
今は亡き、前職の創業者は、今頃、天からようやく日本の制度が、自分の考え方に追いつてきたと思っているだろうか。聞いてみたい。まだまだだと思っているのかもしれない。
一方で、入社3年目までに30人いた同期は15人に減り、5年目には10人となり、私が辞めた10年目には6名しか残っていなかった。特に入社3年目までに辞めた15人の中には、精神的に病んでしまう人、入院する人、引きこもってしまった人などもいた。私がこの環境に対応できただけであって、この環境が過酷だった人は当たり前だけど多かった。これが成果主義(実力主義)の一つの側面であるということを皆さんに知ってもらいたい。
そして、さらに私が実体験で話すことのできる、実力主義で生き残った(=評価を得る)場合の負の側面をお話します。
私は、順調に年収が上がって、大した地位ではないですが、25歳くらいでリーダー(世の中で言うと課長か課長代理?)と言われる地位についた。
その結果、私はいつの間にか、どこか上から目線で世の中を見るようになってしまっていた。
ちなみにその後は伸び悩みましたが(笑)
もちろん、これは「私は」の話かもしれないが、今、全てを一旦捨てて、この生活をするようになってからは、私のような上から目線のリーマンや経済界を牛耳る人たちが世の中に多いなと改めて思います。
・努力しないやつに限って、不平不満を言って、何もしない
・世の中を変える大きい仕事をやっているんだ
・あういう仕事はやりたくないよね
・マスコミはただ事実だけ流せば良い
・批判だけならいらない、批判だけなら誰でもできる
恥ずかしながらこのようなことを思ったり、口にしたりすることが私もありました。今は上記を全て否定します。
単に自分が勘違いやろうだったのかもしれないけれど、お金と地位というのは恐ろしいと思う。
一部上場企業のリーマンを続けていれば、30歳を越えてくるとある程度の年収に達してくる。そうなると、30代になって月収30万以下なのは、その人のせいじゃないか?なんて思ってしまう。。。
事実としてそういう部分もあるかもしれない。ただ、ここで言いたいことは何かというと、結局そういう尺度で人を見てしまう、考えてしまう、その結果、そういう発言がでてしまうということが恐ろしい。今なら、そんな話をする時点で最悪だし、思うだけで恥だと思う。
私が自分がおかしくなっていると気づき始めたのは、東北に赴任してから。過去のブログにも少し書いてあります。
震災後の東北の人々と接する中で、人々のそれぞれの幸せの形というか姿を見て、徐々に上記のような発言をする自分に驚くと共に、嫌になった。そして、自分の生活習慣もかなり酷かった。月15万くらい食費と交際費にかけていた。何のために稼ぎ、何にお金を使っているのだろうと、思いながらもその生活を辞められず、入社当時59kgだった体重(痩せすぎ)が、Max時には69.8kgとなり体脂肪は20%を越えた。尿道結石にもなり、痛風一歩手前と言われた。
ちなみに今は体重60kg、体脂肪は1年前くらいに測った時には11%ほど。
リーマン生活で余計なものが身体に沢山付いていった。
そして、最終的に、このままの道を進み、仮にさらに年収が上がったり、地位を得たらどんな人間になるのか、自分がどんどん嫌なやつになっていくと思い、前のブログにも書きましたが、その他にもいろいろ背景がありますが、環境全てを変える決断をしました。
ここからまとめに入りますが、
働き方を考える上では、日本社会が生き方の多様性を本当の意味で認められるかどうかが重要だと思う。
しかし、今の日本社会は多様性を認める社会とは程遠いのが実態。言葉だけはいろいろ飛び交っているが、実態が全く伴っていない。日本社会ってほんと古い価値観や固定観念に縛られている。特にバブルを経験している世代は、その時の価値観から抜けられない人が多い。そして、男は特に要注意。本能の的に力を手にしたいとか支配欲があるから。
さらに、日本の学校教育も多様性と程遠い。右へ倣へ。出る杭と凹む杭を打つ。平均的に良くできる子を育てる。そして社会人になれば、実態として企業戦士として使えるやつかそうでないかで見られる。
そういう社会の中=多様性を認める社会と程遠い今の日本では、どうしても決まった価値観が美とされる。
例えば、実力主義によって成果を得る。その結果、収入が上がり、地位を得る。それが勝ち組みたいな。
そして、それを手にした人は上から目線になる。
本人は気付いていなくても、そうなっている場合が多い。
仕事を沢山やって、お金が稼げる人が偉いわけではない。
大企業に勤めて、巨額なビジネスを動かしている人が偉いわけではない。
経営者が偉いわけではない。
政治家が偉いわけではない。
本人はそう思ってなくても、相当注意していないとどこかで態度に出る。
おれは違うって思っている人が一番危ない。
ロードオブザリングのような感じですね。
誰しもお金の魔力によって、そうなってしまう可能性があるということ意識し、常に謙虚でなくてはならない。
上から目線になると、優しさに欠けるんですよね。
今の日本社会のような多様性を理解していない社会で実力主義が適用されていくと、どんどん優しさに欠ける社会になってしまうのではないかと思う。
自分もとても注意している。時に上から目線になる自分がいることに気づく。
その時、あ〜おまえってほんと何者だよって、自分に突っ込んで凹む。
私も多様性についてまだまだ理解が足らない。
多様性を本当の意味で理解している社会であれば、それぞれの生き方を認め合う生き方ができるはず。そうなれば、その人その人の生き方や働き方を尊重し、無理を強いられたり、自分が必要以上に無理をしたりということが無くなっていき、それぞれが自分の自然体の中で、できることをやっていくスタイルになるのではないかと思うのです。そうなれば上から目線になることはないのではなかろうか。
今、この大自然の中で生きていると、多様性について自然と理解が深まってくる。きっと前よりは優しくなっているかな。
「多様性を本当の意味で認められる社会になれば」という前提条件付きで、会社という組織の中で、できるだけ働きたい、仕事をしたい、世の中に貢献したいと思う人が時間の制約に縛られない働き方をするのはありだと思う。
世の中にはもっともっと働きたい、という人は確かにいる。当時の私のように。それを一律で封じ込めるのも違う。
ただし、現行の高度プロフェッショナル制度には問題点がありすぎなので私は反対です。
高度プロフェッショナル制度については、以下の記事がとてもわかりやすいのでご参考までに。以下、竹信三恵子(たけのぶ・みえこ) さん ジャーナリスト、和光大学教授(労働社会学)が書いた記事
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180529-00000005-wordleaf-pol
最後に、私は今、自社株を100%保有する一人だけの経営者なので、自分に対しては全てが自由裁量です。
働き方に縛られたくなければ、起業を選択するのも一つですよね。
それと自分が今目指している働き方についてはこちらのブログも参考にして下さい。
私の働き方改革
お読み頂きありがとうございました。
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