ケミコウ

先日、1月31日に友人を連れて冬の上高地に行ってきました!!
最高の天気で、神が降臨していたような感覚になり、ただただ、美しい自然に感動しました。

「神降地」や「神河内」とも言うそうです。
この景色を見てしまうと、「あっ、もう満足」と心の底から思えます。
余計な欲が無くなるというのか、地道に自然体で生きていこうと思うのです。

今日は自然体について、過去の自分を少し紹介しながら、イメージをクリアにしていこうかと思います。

大人になるにつれ、責任や役割が増え、少しずつ我慢であったり、自分を抑えて何かに対処し、日々の選択をしていくことが増えていきます。これは当然と言えば当然の流れですよね。
しかし、それがどんどん強くなると、自然体の自分はどこにあるのだろうと、本来の自分が見えずらくなることがありますよね。
特に日本人は自分を犠牲にすることを美徳と感じるような精神や、集団帰属意識が強いところがあるので、その傾向が強いと思っています。

若い頃はどうでしょうか?
これまた人それぞれの境遇次第なので、なんとも言えないのですが、自分は両側面ありました。

中学時代の私は集団帰属意識が強く、あまり個性がなかったように思えます。
みんなが持っているから、自分も持ちたい、持たないと置いてかれる、ナイキのエアーマックス、たまごっち、プリクラ手帳(笑)
洋服なんて、ブランド名だけを意識して、そのブランドの服を持っていることに意味があった気がします。
この辺はまだ思春期のかわいいレベルですが、なんとなく常に、集団から外れることが怖いと感じていたので、集団の流れに合わせて日々行動をしていた気がします。

そんな自分に違和感を感じていたところもあり、少し遠い高校に行きたいなと思っていました。

中3の受験を前にして、いくつかの高校説明会に参加する中で出会ったのが、ケミコウ(検見川高校)でした。

説明会の行きや帰りで見たケミコウに通う先輩たちの目が、なんとなく皆生き生きして見えたんです。
他の高校の説明会にも参加しましたが、明らかに違いがあったのです。
下駄を履いて登校していた人もいましたし(笑)
そして私はケミコウを第一志望として受験することを決め、合格して入学することになりました。

しかし、入学当初の私はまだ中身は中学時代だったので個性のないまま。

とりあえず、入学当時は東京ストリートニュースを読んで、いけてる高校生を目指そうと思ったのです(笑)
高校入学は1999年だったと思います。
・学ランは千葉中央駅にある赤とんぼで買う。
 もちろん、セミ短、ちょっと太めのズボン、HARUTAのローファー
・バックは都内のイケてる私立高校の青バック
 自分は最初は岩倉・次は昭和なんちゃら(忘れた)・敬愛学園(千葉)
・髪の毛は少し茶髪のメッシュを入れる(チキンだったのでほんとに軽く)
・ツンツンヘアー とりあえず髪をネジってツンツンさせる(笑)
・1999年入学当初の高校生1年生がほとんど持っていたなかったPHSを入学当初から持つ
 携帯激動期でPHSから携帯パカパカ時代になった黄金期の高校生活ですね。
 着メロを自分たちで作り、和音になった時の感動は忘れません(笑)
・放課後は部活でなくバイト、街歩き
・ラルフのベストをワイシャツの上に着る
・ベルトはもちろんFENDI
・私服は当時流行っていたスーツとモード系

とりあえず、これでなんとかイケてる高校生グループに入っているつもりでした(笑)

そして、極め付けはこれ、忘れもしない今も大親友のI氏に向かって放った出会って最初の私の一言。
「あっ、FENDIのベルトじゃん」
人をあるカテゴリーに当てはめることに慣れてしまっていたのでしょう(笑)

しかし、ある事をきっかけに、私はケミコウに染まっていき、自然体になっていきました。
それは、恩師でもある1年の時の担任が、なぜか、このいわゆるちょっと高校デビュー系のどこにでもいそうな田舎者に、
「藤江、おまえ、クラスの委員長やれ」
と言い放ったのです。
私からすると、意味不明でしたが、結局断れずにクラスの委員長になりました。
(なぜ担任が私を指名したのかは、その後聞いており、藤江は委員長タイプだとはじめから思ったそうです)

そして、入学して間もないまだ4月の終わりに1泊2日のリーダー研修と言われる1年〜3年生のそれぞれのクラスの委員長が集まる研修会に参加しました。
親友のI氏など、その後特に仲良くなったメンバーも多くがリーダー研修に偶然なのか、必然なのか参加していました。
なので、このリーダー研修に参加することに導いたK先生には本当に感謝しています。

リーダー研修のテーマが確か「自由」についてだったと思います。
これまでの私であればそういうテーマに真剣になって話合うことは、いわゆる「ださい」という部類でしたが、ここに参加した特に先輩方は真剣にそのテーマについて話をしていました。
また夜は、当時ケミコウの応援団長だったM氏が「愛について語ろう」とか言い出し、なんか語っていました(笑)
ちなみに、その大親友のI氏や、入学当初よく遊んでいた音楽部(私はPHS代を払うためバイトを最初に選んでしまったので入っていない)のメンバーが組んだバンド名がなんと「愛について」という名前。
今となっては少し恥ずかしいですが、そういう学校だったんです笑

今までは、何かを真剣に話したりすることは、あまりかっこよくないで蓋をしていた自分ですが、ケミコウのみなさんの型にはまらない、ありのままの姿を見たことで、閉じていた蓋が開きました。そのほかにも、多くの友人のお陰でいくつもの蓋が開けられ、その後私はほぼありのまま(自然体)で青春の高校生活を送ることになりました。
もちろん、思春期ですので、まずかっこよくありたいとか流行っているものがほしいという思いはありましたが、誰かが持っているから持たなきゃいけないとか、ブランド名だけで買わなきゃいけないという事は一切無くなった気がします。そして、グループというものをそんなに意識せず、自分がやりたいことをやり(野球応援とか、スカバンドとか、早めの予備校通いとか)、誰とでも仲良くやっていた気がします(たまに八方美人だとか言われましたけど笑)。そして、いろんなテーマを友人と通称ケミハマ(検見川浜)で語り合い、多くの夢を見ていました。

書き出したらきりがないケミコウでのエピソードがたくさんあるので、この辺で一旦ストップします(笑)
とにかくよく笑った高校生活でした。

ポイントは、「人」と「環境」と「時間」です。
高校時代に自然体になれたのは、間違いなく、周りの友人や先輩方が皆、自然体だったからです。
そして、そんな自然体になれる環境がケミコウという場でした。
そして、高校時代は、常にゆったり時間が流れていたと思います。
何かに追われることもなく、目の前の楽しいと思うことに時間を費やし、笑っていた。本当に心地の良い時間でした。

上高地に戻ります。
上高地に行ったのは、その高校時代の友人がわざわざ千葉から来るというので、絶景を見せてあげたいと思ったからでした。
その友人が来なかったら、その日上高地に行くことはなかったと思います。そしてその友人は自分が自然体でいられる友人でした。
上高地という素晴らしい自然環境は、そこにいるだけで、心が落ち着き、感動し、素直な自分を呼び戻してくれます。
平日ということで他に2人しか会わずに絶景を楽しんでしまえる時間。河童橋まで行こうかなとも思ったんですが、
大正池ですでに大満足で、ここでゆったりしようと決めたことで、時間を気にせず、満足行くまでその景色を眺めることができた。

自然体でいるためには、この3つ「人」と「環境」と「時間」を整えると良いでしょう。

イメージ湧いたでしょうか?

田舎にいると、この3つが整いやすいので、田舎暮らしをオススメしたいのですが、そうは言っても簡単にできるものではありません。
しかし、都会であろうが、この3つを整えて、自然体で過ごすことは可能です。
ただ、都会においては、環境を整えるのが少し難しいかもしれませんね。いろんな雑音や雑踏があるので。
常にとは言いませんが、都会の生活においても、自然体に戻れる方法を知っておくと良いかもしれません。
それは休暇の取り方だと私は思っています。
一つの提案が「暮らすように旅をする」です。
こちらについては、少しWorks内で紹介をしていますが、また今度ブログでも一つ一つ事例を紹介していきたいと思います。

また上高地自然にかえる旅ガイドツアーも行っていますので、行きたい方はお連れします!!
平日、オススメです!!!(天気によって行けない場合があるので、余裕のある日程を確保することをオススメします)
スノーシューで遊ぶ
ツアーの申し込みはこちらまで
お問い合わせ

ではまた次回!!

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