香港時代 若いうちは苦労を買ってでもした方が良い!?

昨夜、とても嬉しい再会がありました。
去年の秋に来てくれた香港からのゲストがまた来てくれました。
会いにきたよ、っと。そして、帰りがけにまた来るね、っと。

旅程の通過地点だったとはいえ、友達のようにそう言ってくれた彼らになんかジーンときちゃいました。

そして、香港時代について少し書きたくなりました。

私の場合、苦労を買ったというか、厳しい環境に飛び込んだとでも言いましょうか。でもその厳しい環境のお陰で間違いなく今があります。

私が就職した会社は、当時は今ほど有名ではなく、ベンチャー企業のような会社でした。それに憧れて会社を選んだというのもあります。
前回のブログでも書きましたが、早くイケてるサラリーマンになり、ブイブイいわせたかった22歳。
仕事内容、商品、企業の雰囲気などもとても良かったのですが、実力主義・年俸制が私の中でのモチベーションでもありました。

入社してからというもの、しばらくなりふり構わずずっと仕事してました。
やらなければならないことも多かったのですが、基本的には自分の意志でそれを選んだので、今、世間を賑わせているものとは違います。他の人はどうかは知りません。
この話題はこれだけでまたいくらでも記載できますが、一方的な物言い、風潮をあまり好みませんが、
ちょっとだけ言うなれば、企業やバブル世代の人たちは、価値観を押し付け、若者を洗脳せず、多様な価値観を認める社会であれば良いかと思います。
そして、休暇を取りやすくしてもらえば良いと思います(この話はここで止めときます)。

大きなプロジェクトを入社2年目秋から1年半くらい任され、それこそ365日のうち、350日は丸1日仕事をしていたと思います。
休日も何かしら仕事の事を考えていたり、アクションをしていたので頭は仕事で埋め尽くされてました。
念のため、これは私がいろんなモチベーションが常にあったからできたことだと思います。

これが今日言いたい厳しい環境(苦労)ではありません。

そのプロジェクトが落ちついてきた頃、私は次なる野望を抱いてました。
それが海外勤務です。

担当していた会社がグローバル企業であったことや、仕事上、海外の人たちと触れ合う機会が多くなっていました。
当時の一番近い上司に、「いつかは海外で仕事をしたい」と言葉に出していました。

人はなりたい自分にしかなれない、というのを一番はじめのブログで記載しましたが、なりたい自分が明確だったのか、日々の選択や巡り合わせが回ってきて、4年目の夏に「香港に行ってくれ」という辞令が降りました。

嬉しくてたまりませんでした。
まず基本的にミーハーな私は、25歳で海外勤務という状況だけで興奮していました。
ちなみに英語は全くしゃべれませんでした。怖いもの知らずの私は、行ってしまえばそのうちなんとかなるだろう、という意味不明な自信で一切その不安を感じずに、ただ、挑戦したいという気持ちで、香港という地に降り立ちました。

はじめの数ヶ月は勢いと新鮮さで乗り越えていましたが、事件は起きました。
香港に来て1年は経ってなかったと思いますが、現地の営業が退職しました。

途中からなんとなくはわかってました。あまり私と合わなかったので辞めてしまうのではないかと。
香港支社は3名だけで、経理が1名、営業が2名でした。そのうちの1人が私、現地の香港人の営業が1名でした。
よって、営業は私1名となってしまったのです。
その辞めてしまった営業とタックを組んで、通訳も頼んでいたのですが、それができなくなるということに。

仕事のボリューム的には私1人でも担当できるような状況だったので、辞めたら誰かを入れるかということにもなりませんでした。
香港の日系企業を相手にしていたわけではなく、90%は香港や中国系企業、英国系企業が取引先でしたので、私一人でそれらの人と対峙せねばなりませんでした。

英語は週1でスクールに通っていましたが、同僚が辞めてしまった時はまだ誰かと話せるレベルではなく、広東語は全く。
そんな若造が、10歳以上離れた香港人、中国人、インド人、イギリス人のお客様とどうコミュニケーションをとれば良いのか。
香港での人間関係も、はじめは仕事しに来ているから無理に友達を作る必要はないだろと、その辞めた営業担当の知り合いなどしかいませんでした。

そんな状況で、お客様のところに電話一本する、そして通うことにもかなり勇気と準備が必要となりました。
香港はライバル会社が、人のセールスをしてくる集団で、ちょっとでもリレーションが薄くなると、お客様を取られる可能性が大でした。
攻め続けなければならない市場の中で、どのようにお客様とリレーションシップを築いていくのか、お客様を取られたらどうしようと、昼夜不安と孤独に悩まされるようになりました。

これが私の厳しい環境(苦労)です。
一時期、休日外に出ない日(出る気力が湧かなかった)もありました。

そこからよしやって行こうとまた覚悟を決められたのは、人のお陰でした。
香港で友人もいなかった私が、たまたま見つけたMixi(懐かしい。。。)のコミュニティーで香港の日本人コミュニティーに勇気を出して入りました。
そしてそこから、香港昭和57会(58含む)という同年代の集まりに参加するようになったのです。
MixiというSNSに感謝しなきゃですね。

いろいろな境遇で香港に集う、同年代。
気兼ねなくいろいろ話せる友人が出来き、ご飯を食べに行き、香港ライフを皆んなでエンジョイしました。
マカオとか、餃子パーティーとか、クラブとか、海とか!?
その結果、自分は気持ちが上向き、今やれることを一生懸命やるしかないと覚悟を決めてまた歩みはじめました。
57会のメンバー、特にD氏とI氏、そしてY氏に感謝します。

 左I氏、真ん中D氏

左Y氏 
(婚約を祝い、自分がフィアンセ役になった写真ですw)

そして、Y氏の結婚式に東京でI氏とD氏と一緒に参加したのでした。
楽しかったなー、あの頃も。またいつかのメンバーで集まりたい。
(本当はみんなの集合写真とかを掲載したかったのですが、掲載許可を取るのが時間がかかりそうだったので辞めました)

英語はしゃべらざるを得ない環境にないとなかなか上達しないですね。
一番大事なのは、私はあなたとコミュニケーションを取りたいという姿勢だと思います。その姿勢を相手が感じ取れば、言語が通じなくても、お互い理解しようと努めるからです。
そして、1通にかなり時間をかけて単語や文法を調べて書くメールでのライティングは、英語を少しずつ上達させました。
また、本当に相手が言っていることを理解しようと集中すると、頭って痛くなるもんなんですよ。
私は訪問先のお客様とのコミュニケーションの後、いつも頭痛で疲労感たっぷりでした。

今もまだ適当な英語ですが、意思疎通できるコミュニケーション能力がつきました。このコミュニケーション能力とは、英語のスキルではなく、先ほどの「姿勢」という意味です。とは言っても、今もゲスト同士の日常会話にはなかなかついていけません。

話を香港駐在時代に戻すと、
最終的には、お客様のところへ行って話すことが楽しくなり、シンガポール、マレーシア、台湾などにもよく行くことになったのですが、シンガポールのお客様などには新規で飛び込み営業ができるくらい、度胸がつきました。
香港から日本に戻る時には、お客様から寂しいな、また会いに来てくれ、と言われ、それが表面上の挨拶だとしても、嬉しかった。


香港は、私を成長させてくれた土地でした。

この香港生活を通じて、得たこととしては、
・人は一人では生きていけないことを悟った
・世界が身近になり、沢山の新しい興味が湧いた
・日本人なら少し感じてしまう、海外の人たちと話す上での見えない壁が一切なくなった
・コミュニケーションはあきらめいないことが大切だということを知った
・多様な価値観と文化があり、正解はないということを知った

さて、副題に戻ります。
あまり苦労話をしても仕方ないのですが、今考えると若かったが故に、乗り越えられた困難だったなと思います。
今思えば、怖いものを知らずに、よくあの環境に飛び込んだなと。
しかし、その結果、得るものがとても大きかった。今思うとほんと香港を経験して良かった。

ありきたりの言葉ですが、
若いうちは、失敗を恐れず、いろんなことにチャレンジすれば良いってことなんだと思います。
よって、苦労は買ってするというより、勇気を出してチャレンジすると、もれなく苦労が付いてくるってことなのかな(笑)
その苦労を恐れない。苦労は絶対付いてくると思っちゃえばいいんです。成長痛とはよく言ったものですが、身長が伸びる時に、膝の下あたりが私も痛くなりました。それと同じように、人間は成長する上で、やはりいろいろな苦労が伴うのではないかと思うのです。
そして困ったら、人を頼ったら良いのではないでしょうか。
何かにチャレンジしている姿を見れば、少なくとも私はその人を応援したくなります。

香港の後の仙台時代にI氏が嫁さんと遊びにきてくれました。
I氏にも香港時代に将来は温泉宿やるから投資してね!!なんて話してたな〜。

今の私もチャレンジの真っ最中。
会社辞めて、起業して、自営業、田舎暮らしというチャレンジをしました。
とても楽しいですが、もちろんその裏には、、、。
でもそれは、決意した時からわかっていたことなんですよね。そんな甘いもんじゃないから、いろんなことがあるだろうと。
そういう気持ちが前提であると、逆に困難な事にぶちあたった時に、「あっ、来たな〜」って思い、よし、これは成長するチャンスだと捉えてます。

起業、田舎暮らしを選んだ自分が、どのような困難があるのかを知りたい方も多いようですので、順々にお話しますのでお待ちくださいませ。

そして、3月のGuesthouse Raichoは3連休以外、まだ空きありますので、冬をまだ楽しんでない方、ぜひ遊びに来てください。
予約はこちら

4件のコメント

  1. ピンバック: 千葉社中
  2. いつも、有意義な、そして楽しいブログをありがとうございます。いくつになってもなにかをやろうと言う気持ちは、同じです。これからの人生の指針にしたいと思う。私のもってる本より興味深く面白いと思いました。余談ですが、今までの文を書き貯めて、これからの分と合わせて一冊の本にして出版したらどうですか?売れると思うのですが、、、。ファーストペンギンの話し特に良かった。

    1. とし子さん
      コメントありがとうございます。
      自分もいくつになってもいろいろチャレンジしたいと思っています。
      本ですか?!
      いえいえ、まだまだそんなレベルの書き手ではないのでもっと修行します!!

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