今までの人生で一番忙しく睡眠時間の短いお盆を過ごしちゃいました。さらにそれが継続中。理想のライフスタイルと真逆の生活を送ってしまっているわけですが、今は仕方ないと割り切っている。
強敵との闘いですからね。理想は簡単には手に入らない。
今のこの状況下でどこまでできるかで僕のこれからの人生が大きく変わると思い、覚悟を決めている。やりぬく、やりきると決めたからには、なりふり構わず、結果が出るまでやる。僕がリーマン時代で得た経験とはそういった成功体験だった。
さて、ブログなんて書いている余裕はないけれど、たまに思考のアウトプットをしないと気持ちの整理ができないので、今日のブログのタイトルについて話したいと思います。
ベンリとラク貧乏。
日本は本当に「ベンリでラクできる社会」だと思う。良い部分もあるけれど、このまま単に「ベンリでラク」という社会が進むと国も街も個人もどんどん貧乏になっていくと思う。物質的な貧乏と心の貧乏の両方。
例えがありすぎて、何を選ぼうかと思うが、わかりやすい例は前から話しているコンビニであったり、自販機。日本はありとあらゆるところに自販機とコンビニがある。そこで人間の欲求は結構満たされてしまう。
めっちゃベンリ。コンビニにはここ数年行かなくなった(物理的に車で40分もかかるからというのもある)。自販はまだ僕もたまに使う。
ここで考えたいのが、コンビニや自販機の食べ物や飲み物がどこからどのように作られているか。
GiFT NORiKURAでほしさんのりんごジュースと出会って、ジュースってこういうことだよなと改めて感じた。自販機にあるドリンクって、単なる砂糖と香料とかクスリ漬けですよね。それが身体にどんな影響を及ぼすか、という議論は他に任せるとして、なぜそんな商品だらけになるのか、って考えてみたい。
1.大量生産のため
ほしさんのりんごジュースは大量生産できない。100%ストレートジュースだからね。本物のりんごジュースは手間暇かけて手塩に育てたりんごから作られる。日本全国の農園で考えたって、生産量に限界があるわけです。
しかし、当たり前ですが果汁の比率を変えれば、その分多くのりんごジュースが作れます。そして海外の大規模農園で作られたりんごを仕入れれば大量にかつ安く生産できます。
2.安く提供するため
実際に生産者さんから仕入れるようになって本物の値段がわかった。手塩にかけたりんごジュースを作って自分たちの生活を支えるための利益を得るためには、200mlでも300円をきることは難しい。
もちろん大規模りんご農園だったら、もっとコストも下がるだろうし、りんごジュースにして瓶や缶にするところまでの設備を自分でもっていればもっとコストも下がるけれど。海外の大規模農場で作られたものを濃縮して100%ジュースとしてますが、濃縮還元ってなんなんだろうと。
価格競争で安くするためには、本物ではないものだったり、薄めたり、味付けしたり、クスリを入れたりして原価を下げるしかないわけです。
そうやって、自然本来のものが、人間のご都合主義でどんどん形が変えられていってしまうわけです。
何のために?
大量に、安く、提供するためです。
3.ベンリとラクと安さに慣れすぎた人たち
僕が小学校低学年まではペットボトルというものもなかったし、コンビニもそんなになかった。自販機はすでに大量にありましたね。そもそもこんなに自販機だらけなのは世界をみても日本だけなのですが(安心できる国だからという意味もありますが)、そもそも自販機って必要なんですかね?僕もたまに買っちゃいますけどね。
昔に戻れなんて言いませんが、昔の人は出かける時に必ず水筒を持ち、水をいれてましたよね。旅にはご飯などを入れるお椀も持ち歩いてましたよね。
持っていくのが面倒、朝、水筒を準備する時間がない。
それでもなんでもすぐに手に入る世の中だからですね。
外でどこでもラクして安く飲み物は手に入るから。カップだって無料だし。蓋つきペットボトルあるし。
しかし、今述べたように、そういう欲求から作り出された商品やサービスは、自然本来のものではなく、人工的な加工が入ったものばかりとなります。簡単に使い捨てできる「ただ」と思われる容器があります。
コンビニでめっちゃ安くコーヒーが買える現代。今GiFTでフェアトレードのオーガニックの豆を仕入れていてわかるのですが、コンビニのコーヒーは新鮮な豆をもちろん使ってないですし、搾取構造の中で作られた豆だということです。
そして缶コーヒーはコーヒーではありません(笑)
安さには理由があります。
ちょっと想像すれば誰もがわかる当たり前のことを述べているだけですけどね。
では、そんなベンリでラクな選択をし続けるとどうなるでしょうか?
大規模で管理された薬で管理され、低賃金で働かされる農園だけが生き残ります。使い捨てされ続けて、安く購入できる途上国の森林がガンガン減り、リサイクルの許容を超えたペットボトルの山が輸出されてどこかで処理されるのか、投棄されるのか謎。
このように自国ではコストが高いので賄えないので海外に頼ります。そうすると海外から安いものが入ってきて、日本産が選択されなくなり、日本の生産者が減っていきます。それは国や地域の中で経済を回せないという意味であり、地域外、そして海外にお金が流れていきます。どこかの流通業者は多少利益はあるかもしれませんが、地域や国内にはお金がほとんど残りません。そうなると国や地域は貧しくなっていくわけです。
また大量生産、大量消費で作られた安い商品は、最後に商品を提供することになるお店では、一つ一つの商品が薄利にもなります。
100円の商品を200円で売るのと、300円の商品を600円で売るのは原価率や利益率は変わりませんが、得られる利益は変わります。前者の場合は高回転が必要となり、結果的に効率的に安く販売できるものしか選択できなくなります。
安い商品を仕入れると、延命や見た目をよくするために薬漬けにされた素材を使うことになります。だいたいそういうものは、素材の味を楽しめないので、調味料だらけで、どこでも同じような味に変わっていきます。人間の脳も残念ながらその甘味料や調味料に美味しいと反応しちゃんですけどね。
もちろん、一つ一つ手塩にかけて、クスリを使わない商品を提供するのは、本当に手間がかかり大変です。しかし、ラクしてベンリに心を奪われ続けてしまう、もう言わなくてもわかると思いますが、様々な貧乏に陥っていきます。
そして、ベンリでラクは「究極的には何もしない、何もしたくない」という悪循環に陥っていきます。
本物の商品を提供する場合、ラクして稼げる方法なんて存在しないと僕は思っています。本物の商品を提供するのはかなりの苦労があり、それなりの値段になるということです。
とはいいつつも、お店側や生産者が本物を提供しても、薬まみれの見た目の良いまがい物が山ほど世の中に溢れかえってしまっている中で、本物の魅力を伝えるのはとても難しく、さらにそれを理解してくれる方もまだまだ少ないのが実情です。伝える努力をしないと、本物は残念ながら埋もれていってしまうのです。ラクとベンリは強敵です。
ジェラートも、薬を使って、粘り気や見た目を維持し、一度に大量につくって冷凍庫保存していれば、ラクして稼げます。さらに言えば、多くのジェラート屋でも使っていますが、業務用という商品が多数存在し、それを使えばラクにできます。どこも同じような味というのはそういう味です。
しかし僕らはそれをしません。毎朝その日に売れる分だけを作っています。新鮮な自然の恵みをそのまま味わってほしいのと、無添加で安心・安全材料であることを証明したいからです。本当は砂糖も加えたくないくらいなんですが。
日本全国、バブル時代から観光地のバスターミナルとかにあるお店って、基本的にファストフードじゃないですか。どこいっても同じような商品であって。GiFT NORiKURAはジェラートは全て朝手作り、トーストやホットドックはオーダー頂いてから焼くし、コーヒーもオーダー頂いてから豆を挽くんですよ。僕らやってて、本当に大変なんだけど、こんなお店ないよねって自分たちで言ってます。お客さんからはたまに時間のプレッシャーかけられるので、そこは暖かく提供までの時間を見守ってほしい。乗鞍の恵みを味わってほしいので。
さて、ここまでお話しをした上で、実際に消費者の立場として、目の前にりんごジュースのクーの425mlで果汁25%の160円のペットボトルと100%ストレートで地域の方が作ったりんごジュースが200mlで400円前後で販売されていたらどちらを選択するでしょうか?状況によりますけどね。
身体が喜ぶのは間違いなく後者。でも前者でも美味しいし、欲求は満たされます。なので、その先の循環に思考を巡らせたいですね。
地域の生産者が喜ぶ、地域の生産者が豊かになる、その生産者が地域に良いものにお金を使える。そして周りは豊かになっていけば、また良い製品を選択する人が増えて行く。そうやっていくと、巡り巡って、自分も豊かになっていく。
クーが悪い商品とは思いません。添加物を使わないようにしてますしね。でも例えばこの観光地の自販機でクーを買っても、喜びの循環はどこに行くのでしょうか?一番は⚪️カ・⚪️ーラという巨大飲料メーカーでしょうが、社員一人ひとりには届かないでしょうね。りんごはどこのりんごなのでしょうか。
我々は販売しながら誰がどのように喜ぶかわかります。お客様も美味しいと喜び、生産者の皆さんも喜んでもらえるんです。これって当たり前ですが結構すごい話。すべての商品で、生産者と消費者の喜ぶ顔がわかる。
今日みなさんが口にしているもので喜んでいるのはどなたでしょうか?
なるべく笑顔が見える選択をしていきたいですよね。
昨日東京から素敵な仲間を呼んで、乗鞍のローカルも含めてBBQをしたわけですが、ここでもほぼ信州産や地元から仕入れました。ビールだって、ここでアサヒやサッポロを飲むのではなくて、松本ブルワリーでしょ。と。直接お話ししたことはないですが、SNS等で僕はどういう方々がどんな想いでクラフトビールを作っているか知っています。
ニュージーランドを旅していた時に出会ったこの看板。今こそ日本もこのようなサービススタイルにどんどん変化していった方が、喜びの循環が産まれるのではないでしょうか。
田舎はこの考えで店舗運営できてる店がありますが、街中は正直悲惨ですよね。チェーン店にあふれ、パッケージだけ変えて、見栄えをよくし、写真映えする商品なのかもしれませんが、どこもみんな同じようなものに見えるのは僕だけでしょうか?もちろん全てではないですが。
バブルの時は、先の未来などを考えなくても、みんなが豊かになっていく姿が容易に想像できました。しかし、失われた10年を過ぎてなんだか上手くいかないなと思い、20年が経ちおかしいことに気づきはじめ、でもどうして良いかは見えず、30年が経ち、これは負の循環を断ち切り、固定観念を捨て、喜びの顔が見える新しい循環を作り出さないと未来が見えないということに気づいて行動している人たちがいます。本当のRich(豊か)に向けて。
お陰さまでGiFT NORiKURAの2年目は、このコロナ禍ではありますが、良い循環を作り出している手応えを感じてきています。
その良い循環を広げるためにも、ラクとベンリにまず我々が打ち勝ち、豊かになります。