4年目に予約サイト依存からの脱却を目指して

前回のブログの続き、後編に行く前に、、、宿泊業が抱える一つの課題について触れます。

夏のピークを過ぎて、恐ること、
それは予約サイトへの手数料の支払いがいくらになっているか。

今一番依存している◯ing.comは手数料13%。
素泊まり3500円(税込)のドミトリーでは、280円が消費税で420円が◯ing.comの支払いとなり、収入2800円。
素泊まり家族4名で20000円(税込)の個室では、1,600円が消費税で2392円で◯ing.comの支払いとなり、収入16,008円

HPや直予約導線を整えているため減ってはきており、お盆は7割はHPなどの直予約。それでも8月は前半はBooking.comに頼っているため、8月の支払いは確実に10万以上となります。

皆様、これは宿泊施設だけではないですが、予約サイト(◯天・◯らん・◯ing.com・◯ペディア等々)は検索だけに使って、予約はHPからなど直接して頂けると宿泊施設側は大変嬉しいのです。

手数料の分、上乗せすればいいんじゃないか、という考えはごもっともですが、多少上乗せする部分もありますが、競争もある中で手数料を賄うだけの上乗せが確実にできるかというとそうでないこともあります。そしてそもそも価値の部分でこの価格だったら妥当だという考えで価格設定しているにも関わらず、それを上乗せすると、価格妥当性が狂ってきてしまいます。それが後で述べるコストパフォーマンスの評価に影響してきます。

現在のところ、これらの宿泊予約サイトで成り立っているところもあり、頼らざるを得ない状況で、むしろお世話になっている。なのでこのような発言は失礼なんですが、予約サイトに関わらず、◯クルートなどが提供する、これらのプラットホームビジネスが私は好きではありません。

消費者からするととっても便利なツールなんですが、サービス提供側・生産者にとっては、搾取されている感があります。もちろん、営業面や販路で苦戦している場合は、サービス提供側・生産者にとっては有難い部分もあります。しかし、私はそれらにビジネスを「支配」されている感が強いです。

彼らはネットで一旦使いやすいプラットホームを作れば、あとは自ら仕入れや苦労をしなくてもチャリンチャリンお金が入ってきます。もちろん何もしてないわけではありません。利用者(ゲスト側)が使い勝手の良いように、プラットホームの改善を日々行い、もちろん、カスタマーサポートという運営を行っています。

しかし実態は、彼らの本来のお客様であるはずの宿泊施設側からメールをしても3日くらい放置されることは当たり前、電話しても常に5分くらい待たされる。キャンセル料の徴収は宿で勝手にやれというスタンス。こちらの要望を聞くことはほとんどなく、自分たちの手数料が入りやすい仕組みをどんどん作る。
パートナー施設といいながら、パートナーという姿勢を感じたことは正直ありません。

楽天はそれでも良い方、◯らんはあまり好きでないのでやってないのでわかりませんが、◯ing.comのサポートはほんと最悪です。

そして、、、極め付けは、宿側が評価される口コミというものに、また支配される。。。

この口コミというのがまたいろいろあるんでよね。
もちろん、利用者側からすれば、とても参考になる情報だと思います。宿側としても、改善すべき点が見つかり、参考になる場面ももちろんあります。

しかし、例えばこんな勘違いがもあります。

例えば、◯ing.comでは、乗鞍・上高地エリアも松本市で検索されます。
海外からのゲストでこんなことがありました。

「松本で予約したのに、松本から1時間以上かかった、夜になると真っ暗で何もすることがない」
とレビューに書かれ、ロケーション等が最低の評価を受けたことがあります(笑)

同様に、終バスを乗り過ごしてタクシーで来られたゲストから、
「タクシー代に18,000円も払った、なんでここが松本なんだ」
とチェックイン早々、クレームを頂いたことも(笑)

ちなみに、松本駅から32kmと表示され、重要事項に必ずバスの時刻表を確認して下さいと記載しています。

その他には、
こちらは日本人のゲストですが、
「セルフ朝食がほんとにセルフで自分でやらなければならなかった」
と書かれ、サービス面で評価が最低だったこともあります(笑)

もはや笑話ですが、それで低い評価が加算されり、クレームをもらうと、なんて言うか、やるせないですよね(笑)

私も食べログの評価を見てお店を選んでしまうところもあるので、あまり言えない立場ではありますが、評価というのは、それぞれの価値観や情報収集に依存することが多いですよね。何をもって価値があるか、過剰なサービスを求めないシンプル派には自在に滞在できるスタイルに価値がありますし、手厚いサービスをおもてなしと考えている方では、旅館の至れり尽くせりに価値を感じますよね。もちろんコストパフォーマンスの観点も重要。私がゲストの立場だったら、価格とサービスをどう思うか、いろいろな立場でどう思うかを考えます。私も年に1度くらいはある程度お金を払って、手厚いサービスを受けてみたいです。

ゲストハウスは、旅館のサービスが当たり前だと思っている方には、「最低限」「セルフサービス」という宿泊形態は、体験したことのない未知な世界であって、評価のみで選んでしまうと、求めることとのギャップが生じてしまいます。
お陰様で手前味噌ながら、現在評価が高い方ですので、評価のみ見て来られるゲストもいて、サービスとお客様のイメージとのギャップがある場合があり、そういう場合、評価が低いケースが多いです。ある意味それは現状で私が予約サイトに頼っている部分があるので、仕方のないこととして受け止めるしかないと思っています。

これらの観点から何が言いたいかというと、
宿側とお客様側の価値を共有することが大切だということですね。ギャップが生じると、お互いにとって良くないということです。宿側からすれば、こういう方々に泊まってもらいたいなという想いがあると思います。そこにターゲットをフォーカスしてその方々に来てもらうための特徴を出し、サービスを強化して、広報なり営業活動を行い、価値を共有するリピーターや、HPからの直予約率を高める必要があるということです。
様々な人が閲覧する宿泊予約サイトでは、発信する内容が決まっており、情報発信に限界があるため、価値観を共有するのは難しいのが現状です。

よって、宿側とお客様側双方にギャップがほぼなく、ハッピーになれるのが、やはり「宿がまず特色を持つ」こと、そしてHPなどの情報発信を強化して、予約サイトの数ある中から選ぶというよりは、宿のサービスや特色に共感し、この宿を目指してもらうということが重要なのだと思います。
私も海外旅行の時に予約サイトを使ってしまう場合がありますが、使う場面を想定すると、消去法に近いんですよね。その海外旅行の際(国内でもそうですね)に、どこまで宿に重きをおくかは微妙な場合もあります。ただし、3、4泊するなら単純な条件設定の消去法ではなく、きちんと情報収集して滞在先を選ぶと思います。

自然環境や場所を考えると、滞在する中で得られる満足度は連泊やロングステイのゲストが確実に高いのと、ここ乗鞍に滞在する意味が深まると思っているので、ターゲットにしているというのももちろんありますが、上記観点からも私は連泊、ロングステイのゲストに来ていただけるよう、サービスや情報発信を強化したいと思っています。その一つの取り組みで先日、フライヤーを一新しました。お盆の忙しい時期に入ってしまい、まだできていませんが、これから関係する場所に発送し、我々が提供するサービスを求めているゲストの手に取って頂きたいと思っています。

ちなみに予約サイトの中でも一つだけコンセプトが別格なのがAirbnb
これは私が大切にしている旅のコンセプトと合致しており、ゲストとホストとの関係性が対等、そして手数料もゲストとホストがそれぞれ分担しており、気持ちの良いサービスです(最近、競合が増え、少しお金儲け感が出てきましたが)。

なので、結論ですが、Airbnbだけは引き続き続ける予定ですが、他の宿泊予約サイトから脱却するために、3年目の来年は予約サイトへの部屋提供はかなり制限をかけ、4年目は依存から完全脱却するために、Airbnb以外は辞めようと思っています!!
なので、ご予約はHPなど直予約でお願いします!!!!!
かっこよく言いましたが、手数料の支払いの負担が結構大きいのです(笑)
手数料など払わなくて済むのであれば、広告代理店などに支払う料金も減り、最安値を維持できて皆が喜びますよね。

一応、現在もHPなどに力を入れているので、直予約は40%を越えてきています。海外からもHP経由で予約が入るようになってきました。しかし現段階でゼロにすると、予約が激減するでしょう。それをあと1年ちょっとで直予約を80%、20%くらいをAirbnbにしたい。

これは、とっても重要な取り組みだと思うんですよね。
我々ホストとゲストの本当の出会いを追求していくこと。
Raichoにしかない特徴を見出し、それに尖っていくこと。
これはビジネスとして継続的に成立していくためには本来やらなければならないことなんだと思います。
なので退路を断つ!!

先日のブログでも言いましたが、ほんと街中でゲストハウスをやらなくてよかったと思います。
今日来られたゲストは大阪のゲストハウスで働いているらしいですが、経営が成り立たないため、3ヶ月でオーナーチェンジ。
新しいゲストハウスが1泊1500円ですよ。大手不動産会社などがかなり手を広めている現状。大阪とか、凄い状況ですね。
もはや、オシャレで素敵なゲストハウスでは、通用しないです。

「自然にかえる宿」 Guesthouse Raichoも頑張りまーす。

さて、紅葉の時期が近づいてきました。
2017 紅葉シーズン間近
海外からは3、4泊の予約が多く入ってきています。が、Booking.comが多い。
平日も埋まってきてますので、紅葉と温泉でゆっくり過ごしたい方、ご予約お待ちしております。

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雷鳥に巡り会うまで 前半 現代に合う湯治文化を創造したい

写真は青森にある酸ヶ湯温泉

前回のブログ、かなりのPV数があり驚きました。
多くの方に読んで頂けて大変嬉しく思います。

こんなブログですが、何かのお役に立てれば幸いです。

さて、その前回ブログで浅草でゲストハウスをやろうとしていましたが、辞めた経緯をお話しました。
もともと、温泉宿をやりたかったのに、その道が見えなかった、そしてまた自営業としてのモーレツ仕事人生になることが見えていた。

そこで、私は遠回りせず、はじめから温泉宿を目指せないかなと思い、ダメ元でいろいろ温泉地の物件を探し始めたのです。

草津・日光・那須・渋/湯田中・箱根など。

そこでまず出会ったのが、日光湯元温泉の物件でした。
営業中の温泉付きペンション。そのまま引き継ぐことが可能でした。
日光湯元は国立公園内で自然も豊か、温泉は私の好きな硫黄泉、源泉が隣、そして海外旅行者も日光は日光東照宮など人気の観光地でもあり、自然と歴史が両方楽しめる地でした。
規模もそれなりで設備も古くなかったので、購入となると6000万にもなり、賃貸も可能な物件だったので、居抜きとしてそのまま営業権も譲渡してもらい初期投資を抑えて賃貸ではじめようと思ったのです。何度も通い、現在営業中のオーナーさんと細かく条件を詰めていました。

しかし、オーナーさんと決定的な考え方の違いがありました。

私は温泉宿をやる場合、湯治宿のようにしたかったのです。
これは今にも通じていますが、温泉という皆の公共財産をもっと利用しやすい形態にしたかった。温泉(湯治)の効果は本来であれば1週間ほど継続的に温泉に浸かって出てくるものなのです。しかし、古き良き、昔の日本の湯治文化は現代人のライフスタイルの変化とともに廃れていき、古くからの日本の湯治宿として湯治部の残っている温泉宿は少なくなってしまいました。

写真は夏油温泉の元湯夏油。伝統的な湯治場。トップの酸ヶ湯温泉も湯治部がありますね。

湯治は特に農業のサイクルと密接で、土地の休閑期間や田植えを終えた後、収穫を終えた後に、自分の身体を休めるために、農家の方々が1週間、2週間温泉地に滞在して癒されていました。また、古くから言い伝えのある温泉の効能で、療養のために数週間から1年ほど湯治をする方もいました。もちろん今もそのように利用される方もいますが、ごく僅かです。

忙しい現代人、都市に全てが集中する現代、自然が身近な生活から少し遠くなってしまった現代においては、なかなかそのように温泉を利用するのは難しく、観光で1日2日、温泉を楽しむという形に変わってしまいました。

昔に戻ることは難しいと思います。
しかし、現代には現代に合う湯治文化が創れるのではないか、と私は思っています。

心のどこかで、本当は今のこの生活に、どこかに疑問を感じていながら、過ごしている人が多いと思います。
自分もそうでした。
理想なんて理想であって、別に今の生活が不満というわけではないし、それなりに楽しいこともあるし、ある程度生活できる基盤のあるレールに乗っているから安心だよな。と。

私はいろんなきっかけがあって、その疑問に向き合い、ビックチェンジをしたわけですが、それは私が選んだ道であって、ここまでする必要はないと思います(笑) もちろんビックチェンジをしたい方は応援します!!

そこで気軽に誰もができるのが、「休暇」という概念を生活に取り入れ、さらに「普段の生活の中に少し自分の理想を加えていく」ことなのかなと思ったりします。そうすると今の都市の生活の中でも、余裕が出てきて、どこかで感じる疑問はなくなるのではないかと思います。
この話をするとそれだけで3,4回のブログが書けるので、それは実際に乗鞍での生活やRaichoの営業を開始してからのブログで詳細に書いていきたいと思います。

話を元に戻すと、この「休暇」や「普段の生活の中に少し自分の理想を加えていく」ことをサポートする湯治宿(最終的にはそれが「自然にかえる宿」というコンセプトにつながるわけですが)をやりたかったわけです。
湯治宿とゲストハウスってとても似ていると思うんですよね。
だから、私は現代に合うように、温泉付きゲストハウスという形態をやりかった。そしてそこで休暇の取り方を提案しながら、現代に合う湯治文化を創造してみたかったのです。

しかし、日光のオーナーさんにはそれまで営業していた実績から、ゲストハウスのような形態にすることを理解して頂けなかった。
「このやり方でこれまで成功していたんだから、なぜそれを変えるんだ。お金は今のやり方の方が得られる」と言われました。
お金を得ることを否定はしませんが、根本的に物事の考え方の違いがありました。

賃貸という形態上、そのオーナーさんとの相互信頼や協力が不可欠だとはわかっていました。
その違いを感じながらも、場所や資源的には最高だったので、徐々に自分の理想に近づけていけば良いかなと思い、自分の気持ちを少し押し殺しながら、契約に向けて進めていました。
中小企業庁の創業補助金を得て初期投資分を賄おうとも思っていたのと、オーナーさんから会社を設立してその会社と契約することが条件でもあったので、契約を進めながら、株式会社を立ち上げ、創業補助金を申請しました。2015年春の3月31日に株式会社ロアーズ(LoEarths)という会社が設立しました。
このブログのタイトルでもあります。

賃貸契約のための敷金などの初期費用の振り込みも完了し、浅草の時よりさらに進んで、お互い判子をもって仲介業者の元に集まって契約書の最終読み合わせをして、判子を押すという場となりました。

しかし、その場でまた、オーナーさんの考え方を述べられ、おまえの考え方では絶対に上手くいかない。おれのやり方でやれと念押しされました。
流石に心の中でカッチーンときて、「無理だ」とそこで思ったのです。
そして仲介業者の勧めもあり、その場で契約をするのは辞めました。

それでも私はどうしてもその物件が諦めきれず、オーナーさんが何も言えなくなるように、6000万の物件を購入することを検討しはじめました。
銀行に通って、融資の相談をし、事業計画を策定し、銀行にプレゼンをしました。銀行の方からは内示で融資に承諾を頂くこともできました。

しかし、またあの疑問が湧いてきます。
莫大(バブルの頃に比べれば少ないくらいですが)な借金を抱え、15年ほどかけてその借金を返していく。
借金を抱え、身動きもできない生活。返すことに一生懸命になり、理想はあれど、とにかく営業してお金を得ようとする。

あれ??

何をやろうとしているんだろう、おれ。
確かに温泉宿はできるけど、苦しくないだろうか。無理してないか?

また冷静に考えることができました。
ということで諦めました。

浅草に続き、日光湯元も辞めて本当によかったと思います。

そして、私の手元には株式会社ロアーズという会社だけ残りました。
後に、創業補助金も採択されましたが、活用できなくなってしまいました。

詳細は次回辺りのブログになりますが、そのロアーズという会社は今も使ってはおらず休眠状態です。今の雷鳥は事業継承で、会社を引き継ぐことになったからです。企業理念など様々な理想を描いて設立した会社。姉に協力してもらいロゴも作りました。あのロゴには様々な想いが詰まっています。
ロアーズの意味

今もその会社は活用していませんが、その考え方をまとめたことで、今、あまりブレずに進む事ができているのかなと思います。会社設立方法もわかりましたし、設立することでどういうことが生じるのかも勉強できました。会社を設立したいと思っている方の相談にも乗れると思います。

何事も経験ですね、いろいろ失敗を重ねながら、どんどん理想に近づけていたのだと思います。

Guesthouse Raichoの露天風呂 最近、湯治目的で通ってくれるゲストも増えてきました。

さあ、話はまた温泉宿に向けてゼロからスタート。
この雷鳥の露天風呂にたどり着くまでにどのような展開が待っているのでしょうか??
では、また次回!!

皆様、これから梅雨も開け、夏本番です!!
そんな夏は、涼しい高原でのんびりまったり過ごすのは最高ですね。
そんな涼しい高原で、さらに涼しい渓流遊びはいかがでしょうか?
シャワークライミング
また乗鞍岳ご来光バスの運行もはじまっています!!

2700m付近から見るご来光は本当に感動します。

その他夏のアクティビティーは以下を参照下さい。
夏のアクティビティー

お陰様で夏は8月5日から20日までは、ほぼ予約で埋まっています(ドミトリーはまだ余裕のある日もあります)。ただ、キャンセルも日々出ており、出入りもあります。HPの空室情報の更新に追いついていない場合もあるので、Bookedになっていても予約ができる可能性がありますので、お電話下さい。
そして、秋も海外からの予約が多数入ってきていますので、紅葉のピークを狙っている方、お早めに!!

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浅草でゲストハウスをやらなくてよかった

前職の最終出社が2014年11月末、有休消化で書類上は2015年1月中旬が退社日となりました。2005年の4月に入社したので、約10年お世話になりました。

10年の間に、3年、5年、7年という時にやはり人生を考え直すタイミングがありました。何年が良いとかはないと思いますが、最低でもやはり3年間は何事も踏ん張ってやってみるというのはあるかもしれませんね。そして私の場合は10年というところで大きな転換点になったわけですが、10年、営業職をやってよかったなと思います。
営業職を通じて学んだこと

それでは乗鞍でゲストハウスを開業するまでに向けたお話をしていきたいと思います。

自分の場合、ゲストハウスという宿泊形態を選んだのは実は後付けなんです。
今、ゲストハウスを始めている若い人の多くは、まず「ゲストハウス」から入っていると思います。海外や日本のゲストハウスの体験が忘れられない、ゲストハウスのスタッフやオーナーの生き方や価値観に憧れるなど。そして、ゲストハウスは若い人が何か自分でやりはじめる上で、比較的やりやすい業態なのだと思います。特に資金とか経験面で。だからこそ、あとで述べますが、参入障壁が低い。

これまでのブログなどを読んでいる方はご存知だと思いますが、自分は大学時代に「温泉宿」をやることを夢見ていました。
ブログ初回
会社勤めの時も、いつかは温泉宿をやりたいと胸に秘めており、どうすればできるのかを考えていました。資金がないので、いきなり温泉宿なんかできない(ここでいう温泉宿は、温泉旅館のような形態)と思っていました。

そんな中、マチュピチュの旅行があり、航空券が高かったし、一人旅だったので安宿でいいやと思い、ゲストハウスに泊まっていました。自分は海外旅行の経験が豊富にあるわけでもなく、会社勤めの時は海外出張ではホテルに泊まっていたので、久しぶりに味わうゲストハウスの感覚に、「あっこれだ」と思ったのです。ゲストハウスであれば、宿泊施設としてのノウハウをそこまで気にしなくてもできる。かつ定員30人くらいであれば、リノベーション費用(初期投資)もそんなにかからないだろうという目論見。退社を決意したのと同時に、退社まで、そしてその後の起業から温泉宿までのマイルストーンを帰りの飛行機で描いていました。

2014年の5月のマチュピチュの時は、日本には昔ながらのライダーズハウスのようなものや、ユースホステルはありましたが、ゲストハウス、ホステルという形態の宿はまだ日本全国でリストにできるくらいの数(100件くらい)で、東京で40件くらいでした。ゲストハウス?何それって人が大半でした。
2016年には海外からの旅行者が2400万人となりましたが、2014年当時は、2013年に初めて1000万を突破という状況で、これから伸ばしていこうという国の政策がありました。だからこそ訪日観光客向けに都内でゲストハウスをやれば、温泉宿の資金を得られるかもしれないと思ったのです。

要するに、私がゲストハウスを選んだ最初の理由は、温泉宿をやるための資金を稼ぐ方法だったのです。
もちろん、普通のホテルや旅館よりは、ゲストハウスの雰囲気はとても好きだったので、ゲストハウスという宿泊形態に魅力を感じていました。

マチュピチュから帰ってきて退社の意向を伝えたのが7月末、そして、実はその後8月末頃から会社を辞める11月末まで、会社の休みの土日のどちらか1日は仙台のゲストハウスに夜、ヘルパーとして手伝いにいってゲストハウスの雰囲気や運営について少し学んでいました(暴)。

その後、退社してゲストハウス開業に向けて動き始めるわけですが、私が退社する前からまず目をつけていた場所が、東京の墨田区・台東区・江東区周辺。
東京の中でも賃料が比較的安いのと立地。ひたすら物件探しに不動産屋を巡りに巡って、ゲストハウスをやる上で適している物件を探し回りました。
ゲストハウスをやるための物件探しの詳細については、様々な方が詳細に書かれているブログがあるので、ここでは割愛します。

何件か候補が上がってくる中で、浅草雷門にも徒歩5分ほどの好立地で、ほど良い大きさの物件を見つけ、具体的な検討に入りました。
どのようなゲストハウスにするかデザイナーさんなども入れてプランを練り、収支計画や事業計画を書きました。

話はどんどん進み、ゲストハウスへのリノベーション計画とその費用、オーナーさんとの契約の打ち合わせもほぼ完了し、契約書の雛形もでき、後は私が判子を押してもっていくという段階にまで至りました。

しかし、私の中で、何かしっくこない違和感がありました。

一点目は収支計画
周りのゲストハウスの状況やこの立地を考えれば、年間を通じた定員稼働率は80%はいくだろうとの予想で、初期投資分は5~7年くらいの利益で回収できるだろうという試算がありました。その中で立地が立地だけに、家賃(賃貸でやる計画)も結構高かった(立地的には安い)ので、年間定員稼働率が60%はないと赤字になることが予想されていた。
ここから何が想像できるかというと、そんなに利益幅がないということ。高稼働率を維持できても、さらに利益を上げる幅も少なく、初期投資分回収で7年かけてたら、温泉宿への資金はいつ貯まるのだろうか?という疑念。しかもその資金を貯めるために、恐らくほとんど休みなしの営業を続けることになる。
果たしてそれって、自分が望んでいたことなのだろうかと。

二点目は浅草でゲストハウスをやる意義
浅草周辺には2015年1月現在ですでに15件ほどのゲストハウスがありました。ホステルをチェーン展開をしている会社もあり、自分だけでなく、多くの人がこれからゲストハウス・ホステルをはじめようとする動きがありました。私のような人間が何人もいて、参入障壁が低いんです。
その中で違いを作るために、何かを打ち出さないといけないことはわかっていましたが、資金力もない自分が浅草で違いを作る方法がイマイチ思い浮かばなかった。そもそも自分は自然が好きなのに、都会の歴史文化にどっぶり浸かっている姿も想像がつかなかった。
別に自分が浅草という土地でゲストハウスをしなくても、誰かがやる、自分がやる意味を見出せなかった。

ということで、最終的に、各方面にご迷惑をおかけしましたが、具体的な計画を立てたにも関わらず、浅草の物件から手をひきました。
2015年の1月だったでしょうか。今思えば辞めてからまだ2ヶ月しか経ってなかったんですね。この決断が出来たのも、前職でいろいろ経験を積んだからというのもあるかもしれません。

今思えば、浅草でゲストハウスをはじめなくて本当によかったと思います。
もちろん、まず自分が住む場所として乗鞍でよかったと思うのですが、ビジネスとして浅草でやっても相当苦戦していただろうなと思います。
今や東京だけで150件以上のゲストハウス・ホステルがあります。この2年で4倍ほどできたことになります。しかも大型化が進んで定員100名などのホステルも沢山できています。訪日旅行者の伸びよりもゲストハウス・ホステルのベット数の伸びの方が大きいのではないでしょうか。
夏のピークはそれでもまだ東京全体でベット数が足らない状況で、今後も訪日旅行者は伸びる。そしてまだまだゲストハウス・ホステルの開業もあるでしょう。その一方、ゲストハウス・ホステルの競争が激化し、資金力のある企業もどんどん参入した結果、クオリティーの高いゲストハウスが次々と出来き、価格競争も激しく、廃業する宿もあるそうです。
綺麗でオシャレでクオリティーが高いのに、ドミトリー1泊2200円とかあるんですよ。
自分がやろうとしていた浅草の物件も、今はやはりゲストハウスになっています。

自分が浅草でやっていたらどうなっていたかはわかりません。違いを作るために努力して、新たなビジネスも生み出してやっているかもしれませんし、埋没していたかもしれません。ただ、あの時感じた違和感のまま進めなくて本当によかったなと思うのです。

それと同時に、若者が都会でゲストハウスをやり始めることに少し危惧を抱きます
まず競争に晒され、個人ではじめる規模(定員30人未満)では、あまり利益の出るビジネスではないという点です。固定費を削るのは難しいので、削るのは人件費、有給スタッフを雇えば、利益を出すためには自分の給料を削らざるを得ません。そして、あまり休みが取れない。
そもそも旅好きで、ゲストハウスに憧れた人たちが、あまり旅ができなくなるのです。
仮にオーナーではなく、社員やスタッフとして働いていたとすると、経験やステップとして捉えているなら良いかもしれませんが、ずっとそのまま働こうと思っているのであれば、給料はあまり期待できないと思います。自分には楽しみがあるので、それでも良いというなら全然ありですが、都会の生活はお金を使うことも多いので、なかなか難しいのではないかと思うのです。

では、田舎が良いのかというと、もちろん、田舎にも課題は沢山あるので、それはまた追い追い話していきますが、私の知っている限り、田舎でゲストハウスをやっている人は、自分の好きなことをやりながら、のんびりまったりマイペースでやっている人が多いです笑
私がその一人ですが。
何より、遊び場が近くて最高。
好きな遊びがすぐにできる場所に住んだ方が良い。

さて、浅草を諦めた私が次にどう行動に出たかはまた次回にしたいと思います。

みなさん、ウキウキの夏ですね。
夏のピーク時にはさすがに1年で1番の稼ぎ時なので私は遊べませんが、すでに夏前の暇な時に遊んでますし、8月後半や9月に遊ぶ計画があります。
ここ、北アルプスの乗鞍高原はアクティビティーが盛りだくさん!!
大自然の中に遊びにきてくださーい!!

以下、ご参考まで。
乗鞍岳のご来光
天の川を見に行こう 乗鞍高原
マウンテンバイク&サイクリング 乗鞍高原
ヒルクライムの聖地 乗鞍エコーライン
夏・秋のハイキング登山情報
信州・飛騨 乗鞍周辺観光

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営業職を通じて学んだこと

もうすぐ夏の登山シーズンですね!!待ち遠しい!!(写真は乗鞍岳剣ヶ峰です)

すっかりご無沙汰してしまっているブログです。
GWに突入、その後のインフルエンザ、補助金申請などが重なりバタバタしておりました。登山シーズンを前に乗鞍高原は新緑の季節真っ只中なのですが、その新緑にハマっています。


新緑ってほんとに美しいですね。
しかし、この新緑の季節はなぜかお客さんが少ない。。。ということで来年はもっと新緑にフォーカスを充て、戦略を練りたいと思います。

さて、今日は起業やビジネスという観点のブログです。
この話題としては1ヶ月以上更新できておらず、どういう経緯で脱サラして起業に至ったかもう一度確認したい方、またこのブログをはじめて読むという方のためにも、起業に至る背景となる以下のブログのリンクを載せておきます。
人生の転換点 前半 東北・仙台時代
人生の転換点 後半 人生を変えた一言

前回は会社を辞める決断までの背景を説明しました。
その後、仕事のいろんなタイミングもあり、マチュピチュから帰ってから2ヶ月後に会社に正式に退社の意向を伝えました。退社を決意しても、今度はその退社の意向を上司などに伝えるまでに壁があります。今までお世話になった会社の様々な方々を裏切る行為なのではないか、とか、誰かに迷惑をかけるとか、そんなことを考えてしまいます。

私の場合はタイミングがありました。
新たなミッションを任せられそうになり、一旦それを受けてしまうと退社できない。だから私はそのミッションを断ると同時にその理由は退社したいと思っているからだと、会社にその意向を伝えました。

今でもそうですが、前職場にはとても感謝していますし、何かで恩返しできたらいいなと思っています。
私が今このようになんとかこの乗鞍高原でGuesthouseを正式オープンして1年、遅滞もなく借入の返済をしながら無事過ごせているのは、前職場で培った様々な経験のお陰でもあります。偉そうなこと言う前にまず3年しっかりやれ、と突っ込まれそうですが、3年後も生き延びるためにこのブログも書いています。

今日は、私が大学卒業後の約10年という期間、前職場で何を学び、そして今それをどう活かしているのかについて少し記載したいと思います。
私は前職場の営業という仕事を通して多くのことを学びました。細かい営業・提案・経営的なスキルはもちろんですが、起業して事業をしていく上でとても大切なことを学びました。いくつかありますが、その中でも特に重要な以下の2点を記載します。

1.『戦略とは違いを作ってつなげること=物語のようなストーリーになっていること』

起業するにあたって、ただ「これがやりたい」というような想いだけやっていけるほど世の中甘くはないですよね。バブル期のように何か特別なことをしなくても、市場が伸び、売上が増加していくことが期待できない現代においては、やはり戦略を考えないとビジネスを軌道に乗せることは難しい。なので当たり前の話ですが、商品は必ず周りとの違いを作る必要があります。そうしないと消費者からするとほぼ同じような商品に見え、選択されないのは言うまでもありません。会社の資源は有限です。いくらでもお金があるなら、違いを作ることも容易でしょう。しかし、起業するにあたって潤沢な資金がある人なんてごく一部でしょう。なので限りある今の資源をしっかりと見極め、競合分析をして、そこで違いを作っていくことが重要となります。

次に後者の部分「違いをつなげる」ということがさらに大事です。というのも、ニッチな部分で初期に顧客を確保できたとしても、それを真似るところが出てくるのが世の常だからです。それは悪いことではなく、真似るところが出る=ビジネスが上手くいっているということでもあります。そのまま何もしなければ、その競合と単にニーズを分け合うしかなく、先行利益のみでその後の伸びは期待できないどころか、 さらに参入される可能性があります。よってその違いをさらに「複雑に」つなげていく必要があるのです。
あまり暴露しすぎると、Raichoの経営が傾くので、私が起業して宿をやろうと思った時のさわりだけ紹介します(笑)

まずそのエリアの現状について整理します。
エリアの魅力、エリアでの宿の形態と数、どのような人をターゲットとしているか、ポテンシャルとしてどのようなターゲットがあるのか、ニーズを満たしていないところはないか、などです。
次にそれらの分析からターゲットを定めます。
そして、そのターゲットから選ばれるために「違い」を作っていきます。

ゲストハウス、温泉付きゲストハウス、自炊スペース、そして、、、、、と違いをつなげていく。
何をどうつながているか想像つきますでしょうか?

これが続けば続くほどそして、複雑につながっていくほど、その戦略は優れているということです。この3つを並べるだけで、どのようなお客様がどういう目的のために、なぜここを選択し、どのように滞在しているか少し想像できると思います。それがストーリーです。この違いが繋がっていけばいくほど、そのストーリーももっと具体的になっていきます。

もう一つ戦略という観点で重要なこととして、「やらないことを決める」ということですね。
何かをやろうとした時には、やることをどんどん決めていくことになりますが、逆に「これはやらない」ということを決める方が実は重要だったりします。

一例を挙げます。
Raichoは必要に応じて朝食を提供していますが、実は皿洗いもゲストが行うセルフスタイルです。
一番の理由は必要最低限のサービスで安価に滞在を実現するためです。番外編の理由として、これは私のトラウマのような個人的な感情もあるのですが、私は高校生の時にとんかつ屋でアルバイトをしていて、皿洗いがメインだったのですが、毎日何皿洗うんだというほどの量を洗い、もう皿洗いが嫌になってしまったのです(笑)。また自分がアトピーで、洗剤(無添加でも)で手がとても荒れて、ひどい状態になっており、皮膚科の先生から水仕事は絶対にダメと言われているというのもあります。
「皿洗いをやらない」これは聞こえは微妙ですが、深く考えるとこれが一つの「違い」であり戦略にもなっています。

そして、「違い」には、目に見える物質的な違いと、オペレーション(運営)の違いがあります。
温泉、ゲストキッチンは前者、ゲストハウス、皿洗いをしない(セルフ朝食)というのは後者です。※ゲストハウスは宿の運営形態の一つだからです。
実は、前者よりも後者を充実させていくことの方が難しく、後者が充実していると複雑な違いとなり、他がなかなか真似できない強い戦略となる場合が多いですね。

以上の戦略論については、直属の上司から、耳にたこができるほど聞かされ、実践の中で教わっていました。
私は戦略家になれたかと言われると、10年経っても全然でした。上記の記載内容ではその元上司から不十分だと確実に言われますが、この程度の理解でも今の事業を進める上ではとても役に立っています。

2.『人は最後は人から物を買う』

これは営業の中で嫌という程実感しました。
結論から言うと、
「どんなに優れている商品であっても、売っている人間が信頼できなければ買わない」
逆を言うと、
「ほぼ同様の商品が売られている場合(ある商品と比べて性能なりが少し劣っていた場合も含む)、人は信頼できる人間から買う」
ということです。

これは皆さんも経験あるのではないでしょうか(車とか)。もちろん、圧倒的に商品に差があれば別です。
ちなみに例外はブランドです。それを持っていることで何かのステータスになると人を介さずに購買行為が発生します。よって、戦略にはブランディングという要素も重要になってきます。ただし、ブランドが先行しすぎると、商品の品質なり価値がブランドイメージに追いつかず、もしくはお客様との価値のズレが生じ、ブランドが崩壊する可能性もあります。

私は天気予報を元にした商品(リスクマネジメント)を売っていました(どんな商品かは想像つかないと思いますが)。そして天気予報でも競合はおり、一般の人からすると似たようなサービスを提供しているところがいくつかありました。またそのサービスがカタログのような商品ではなく、目に見えないもので、不確定要素もかなりあります。サービスがないにも関わらず、提案書のみでこれからサービスを作るといって契約を取ってくることもよくありました(笑)。このように一般的には違いがわかりずらい、サービスがまだないような場合でもビジネスは成立します。そのような場合は、必ずお客様と信頼関係が築けていました。時に信頼関係が構築されてないにも関わらず売れることもありますが、そういう場合は、サービス開始後にクレームの山、もしくは大抵すぐにロスト(失注)しましたね。ビジネスが大きくなればなるほど担当同士は硬い絆のようなところまで信頼関係が構築され、会社対会社でも様々なレベル(究極的には社長対社長)で構築されているはずです。

これを前の職場ではリレーションシップマーケティングと言ってました。

宿であっても、結局は宿を運営するスタッフがとても重要だということです(当たり前の話だと思いますが)。
どんなに料理が美味しくても、どんなに設備が良くても、どんなに温泉が素晴らしくても、スタッフに魅力がなく、信頼できるような人でなかったらお客さんは遠のいてしまうということですよね。逆に言えば、多少設備が古くても、サービスが不十分でも、スタッフに魅力あり信頼できる人であれば、お客様との信頼関係が構築され、お客様から選択されるでしょう。究極的に言えば、そのスタッフに会いに来るということになります。
我々Raichoスタッフもお客様と信頼関係を築くために、お客様への対応についてはこれが正しいのか?と日々悩みながらやっています。また自分自身が少しでも魅力ある人間になるための努力もしている(と思う)かな。

商売によっては、直接何度か会ってから買うとはならないことも多いですよね。リピーターは別ですが、宿や飲食店などの新規がこれに当たります。下見をする人もいますが。上記の記載内容から何が言えるかというと、もちろん受注(予約が入って実際にチェックインしてから)後の信頼関係の構築は大事なのですが、新規のお客様を獲得するためには、お客様が宿、食事の場所などを決める際に、どういう人たちが、どんな想いで、何を目的に商売をしているのか、が予め伝わると良いということです。なかなか難しいところではあるのですが、具体的に言うと、「単にこういうサービスのある宿です、こういうものを使った料理です」ではなく、お客様に滞在を通して、もしくはこれを食べてもらうことで、「どうなってほしいか」、という想いがあり、そうなるためにどのようなサービスをしているのか、それを提供している人はどんなことを考え、どんなことを大切にして生きている人なのか、が伝わると良いと思います。人はその部分に共感なりをして、会う前から宿の人たち、飲食店の人たちがどんな人なのか、だいたい理解しているくらいがいいですね。先にお客様が事前情報で店を信頼するというところまでいけるのがベストです。そのようになると、数ある選択肢の中から選択されるでしょう。
Raichoもこの点はもっと強化せねばならないところです。

偉そうなことを言いましたが、自分でも今日このように文章で記載することによって、改めて明確になることもあり、「理論がわかっているなら実践しろよ」と自分に言いたくなりました(笑)

これができれば上手くいくというものではありませんが、少しでも参考になれれば幸いです。

さて、冒頭でも紹介しましたが、ここ乗鞍高原はまだまだ新緑の美しい季節。

そして山にはたっぷりと雪が残っています。
梅雨には入りましたが、晴れる日もありますし、雨に濡れた木々も綺麗なんです。夏、一斉に日本民族大移動が発生する前に、少しゆっくりしに乗鞍高原に来てみませんか?

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最後のゴールデンウィークを楽しみに来ました

GWは今日で終了ですね。↑の写真は本日撮影。乗鞍高原はこれから美しい新緑の季節を迎えます。
Guesthouse RaichoもGW中はほぼ定員MAXのゲストが宿泊して大にぎわいでした。最終日はゲスト8名で落ち着いており、みんなゆっくり温泉に浸かったりまったりしています。乗鞍高原内も静まり返っています。

多くのみなさんは明日からお仕事ですね。
次の連休は7月の海の日の3連休でしょうか。
またどこも混むのでしょうね。

そんな今日は、休日について少し意見を。
私もこの生活をするようになってまだ1年半をちょっと過ぎたくらいなので偉そうなことは言えないのですが、今回のGWを見て少し語りたくなりました。

まず、一般的なデータですが、今年のGWで9連休を取得できたのはわずか10%だったらしいです。ちなみに去年は10連休だったのですが、10連休を取得できたのはなんと、、、6.3%。
日本人ってほんと休暇を取らない民族ですよね。勤勉な民族という言葉で美化しときますか?勤勉は素晴らしいですが、個人がそれで幸せかどうかは別ですよね。ちなみに、私も前回のブログにあった3泊6日のマチュピチュの旅も実は1日だけ有給を頂き、後半で行きました。

今年もやはり後半に休みが集中したようですね。
FBでもアップしましたが、4日は松本城でなんと160分待ち。
松本城はとても良いところですが、ごめんなさい、私は絶対待ちません。
せっかくの休日の貴重な時間を160分、松本城の場内見学するために待つなんて、私はしません。待たない日を選んで行きます。

「常識」という枠でいうと、”日本の”「暦」=「カレンダー」というものが世の中に存在しますよね。
合わせて、土日という曜日も存在しますよね。
1週間のうち5日働いて、2日休むのは人間のリズム的にも良いらしいです。

でもどうなんでしょうね?

誰が土日に休むと決めたのでしょうか?
カレンダー通りに動かないと行けないのでしょうか?

今のルールや常識というのは、いずれかの時代のお偉いさんたちで勝手に決めたものですよね。
前にも少し言いましたが、確かにサービス業以外の企業が一斉に土日で休むことは経営的な効率などを考えるとベストでしょう。
そのように考えると、誰か(企業の経営者)、もしくは常識というものに、自分や家族の貴重な時間をコントロールされてしまっているのだと思います。特に日本人は和という名の空気を読む民族で、その「和」自体はとても良いことで、文化として大切にすべきことだと思いますが、なんとなくそれが変な方向に働くことも多く、個人の意志が弱いということも言えるかもしれません。
それはそれで、悪いわけではなく、同じレールに乗っかっている人が沢山いるので、安心するというのもあります。

でも、それで本当にリフレッシュできる休暇取れるのかなと。

乗鞍は良いか悪いは別としてそんなに混むところではないですが、3,4,5日は観光地はどこも混んでいたでしょうね。
そして移動が大変ですよね。運転手のみなさんは渋滞での運転ほんとお疲れ様です。

このゴールデンウィーク、お盆、シルバーウィーク、年末年始の日本民族大移動って不思議ですよね。最終日の今日宿泊しているゲストは露天に1時間予約を入れて、超まったり過ごしています。誰もいない散策道を歩いて、大自然の中で良い空気を吸って、我に返っていることでしょう。
私も今日少し散歩しましたが、ほんとに誰にも会いませんでした笑

ここ北アルプスの自然に関しては、ゴールデンウィークは少し中途半端な時期で、見所もありますが、実は5月中旬頃からの新緑が素晴らしいんです。
去年の5月中旬頃乗鞍高原内を歩いた動画です。

ああ待ち遠しい。
でも、この頃は閑散期。去年もこの素晴らしい時期に、散策道はほとんど人に会うことはありませんでした。なんてもったいない。
乗鞍岳を含む北アルプスの高山植物の最盛期は7月中旬頃から8月上旬なんですよね。お盆は見頃を少し過ぎてしまっています。
紅葉は9月下旬からでシルバーウィークはまだ早いです。
年末年始はここ2年、雪不足で1月中旬頃からベストなスキー・スノボシーズンになります。

カレンダーで休みを取るのではなく、なにかに合わせてちょっとした休みなり休暇を取った方が良いですよね。
恐らくみんなそれはわかっているんだと思うのですが、なかなかできない。一方欧米の人たちは、子供がいても、結構自由に好きな時期に休暇を取りますよね。

日本人がそれをできない理由はなんでしょうか?
GWの中日を10%しか休めない人たちが、それ以外の期間で2週間休みを取るなんでほぼ不可能でしょうね。

GWに大学4年生の就活している学生が来たのですが、彼が放った言葉が印象的でした。
「最後のゴールデンウィークを楽しみに来ました」
「就職したらGWに約10日間の連続した休みは取れないから、今年のGW最大の9日間の旅をしているんです」

学生にとって、就職とは「休みが取れなくなる」というイメージがあるということですよね。
電通の事件があってから、少し変わる傾向はあるのかもしれませんが、なんか形式的な変化だけであって、中身はあまり変わってない気がしますよね。

ここからは少し意見になりますが、
私はバブルを経験している年齢層や経営者、管理職レベルの人がやはり価値観を柔軟に転換すべきだと思うんですよね。

今は経済が成長して目に見えて生活が良くなる、収入が増える時代ではない。豊かさ=経済成長=収入が増える、という単純な図式ではない。

もちろん、その世代の方達の努力が今日の日本を支えていることは確かだと思います。しかし、結果として良いものも産んでいるし、悪いものも産んでいる。そして、さらに言ってしまうと、経営層や管理職の人たちを尊敬する若者が少ないということに気付いた方が良いかもしれません。なぜなら、今の若者にとって憧れるような生活をしているようには見えないからです。休暇をきちんと取って、自分も大切にして、遊んでいる人があまりいないからです(国民に北朝鮮の脅威を煽っといてゴルフやってたり、地下鉄止めるのに原発止めないどこかの総理大臣は話になりませんが)。仕事の能力や判断力があり、仕事での尊敬はあるかもしれませんが、生活に関して言えば、ほぼみな同じように見えるか、もしくは微妙な人もいる。

時間と共に、目に見えるように生活が良くなるわけではない現代社会においては、今まで以上に自分の時間を大切にすることが必要な気がします。その自分の時間での豊かさを感じられてこそ、仕事にも注力できるんだと思います。そうしないと、自分が仕事としてやっていることの意味や意義が見出すことはなかなかできないのではないでしょうか。

そこで最後に一つ提案ですが、
日本の企業の経営者や管理職のみなさんは、社員や部下に1年に最低1回は2週間以上の連続した休暇を必ず取れるようにしてほしいと思います。そうすることで、特に若い社員のモチベーションは相当変わると思いますね。
これまたGWのゲストですが、入社2年目ですが、今年の夏に東南アジアに1ヶ月の旅行を計画し、上司にも了承を得られたようです。素晴らしい上司ですよね。でも、その後の言葉、「この後はそんなことはできないから、今のうちにやっておけ」だそうです。
ん〜〜、フランスでは1年に1ヶ月の休暇は当たり前です。

休暇を取ることを容認している企業も多いと思いますが、空気を読んでしまう日本民族は、周りをあまり気にせず自ら休暇を取る人は稀です。これはもう民族の性格でよね笑
なので、社員規定でも福利厚生でもなんでも良いので、「必ず」そういう休暇が取れるようにしてください。そして休暇を取ることが素晴らしいことだという雰囲気作りをしてほしいなと思います。恐らく30年くらいすれば、それが当たり前になると思うので、遅れないうちにぜひやって下さいね。

といっても、このブログが経営レベルや管理職レベルの人たちに届いているとは思いませんが笑

ゴールデンウィーク、あまり休みを取れなかった方、ぜひ、5月中旬以降の新緑の季節に乗鞍高原へお越しください。
大自然で絶対にリフレッシュできますよ〜。

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人生の転換点 後半 人生を変えた一言

 前回のブログで私の中での内面の変化を書きました。
 いろんな内面の変化があったとしても、10年間リーマンをやっていて、収入なり地位(大した収入や地位ではないですが)を得ていると、歩んできた道を外れることにはかなりの勇気が必要ですよね。なぜ、そこを決断することができたのか。今考えても、よく決断したなと思います。

 決断の背景には、勤めていた会社の仕事内容も関係しています。
 仙台に赴任することになったのは、震災後の東北のためにできることを考えるなどいくつかありましたが、中でも大きなプロジェクトがありました。それが2014年4月末に一段落したというのがあります。

 実は今だから暴露しますが、正直に言うと、そのプロジェクトが「私の中で」自分の仕事に対するモチベーションとあまり紐付けられずにいました。意味や意義は理解しているつもりでした。そして、世の中には好きなことばかりでなく、「やらなければならない仕事」があり、真の実力者であれば自分のモチベーションなど関係なく、もしくはきちんと自分のモチベーションと紐付けて、結果を出すものだろうと。

 責任ある立場でしたし、お給料をもらって仕事をしてますので、会社のミッションは自分のモチベーションとは関係なく、自分なりにベストを尽くして取り組みました。特に最後の1年は休日なんてほとんどなく、土日も東北を駆け巡っていた。
 しかし、今思えばそうやって休みを取らないことで、自分を安心させていたのかもしれません。自分は一生懸命に仕事をしていると、自分に暗示をかけていたのかも。

 そして、その仕事がGW前の2014年4月末に一段落しました。
 プロジェクト終盤は終わったらとにかくどこかに行きたいと思っていました。仙台での最優先事項を仕事にして沢山の事を我慢した1年でもあったので。
仙台に来てからプライベートでも上手くいかないこともあった。会社入ってから10年目、年齢も30歳を越えた。さて、この先どうしようかな。ちょっと離れた場所で少し考えたいなと。

 昔からマチュピチュに行くことが夢でした。あの景色になぜかずっと惹かれていました。
 GW前半の休日の29日とか30日だったと思いますが、後半からいくぞと決めて直前のバカ高い航空券を手配しました。ほんとは、ウユニとか、チチカカ湖とか、ナスカの地上絵とか、そんなところも行きたいなと思いながら、その後仕事もあるから無理でした。3泊6日(飛行機で2泊で空港で1泊含む)だったと思います。これがその時できる最大の私の休暇。泊まるところは成田に行く道中でささっと適当にゲストハウスなどを選んで決めました。

 ロサンゼルス、ペルーのリマ経由でかつてのインカの首都であるクスコ(標高3400m)に降り立ちました。

クスコ

 ちなみにすでに飛行機と空港で2日経過
 3日目の朝にクスコに到着し、荷物をゲストハウスにおいて街を歩き出しました。
クスコのゲストハウス

 このゲストハウスの造りいいなと思います。中庭からそれぞれの部屋の玄関にアプローチする。共用部分も中庭を通っていくんですよね。こんな造りのゲストハウスいいな。でも乗鞍の冬は厳しいですね(笑)
 マチュピチュしか頭になかったので、歩き出してからいろいろ情報収集して、次の日のマチュピチュまでの電車のチケットを手配して、帰りが満席でチケットが取れなかったのですが、まあなんとかなるかと思い(それ運命を大きく左右したのですが)そのままクスコ周辺を探検することにしました。クスコの近くに沢山の遺跡があることを知り、時間もないので1dayツアーに参加して遺跡巡りをしました。
クスコの近くにある遺跡

ツアーバスの中

 ツアーバスの中では子供が乗り込んできて、民謡を歌ってくれました。
 こういう衣装とか歌とかって文化を体験できて良いですよね。乗鞍的な民族衣装って何だろう?

 次の日は朝一でマチュピチュ行きの電車に乗り、3〜4時間かけて麓の街に到着。電車はとってもゆっくりでしたが、快適でした。

マチュピチュ行きの列車①

マチュピチュ行きの列車②

マチュピチュの麓の街①

マチュピチュの麓の街②

 午後から早速バスに乗って、マチュピチュに出かけました。
 本当はワイナピチュという山(下の写真の奥の山)に登りたかったのですが、すでにその日は入山制限人数に達しており行けませんでした。何かを保護するのであれば、この入山制限という考えは一部日本でもありますが、もっと取り入れたいですよね。登山をすることはなくなったので、4時間くらいゆっくりと夕暮れまでただ遺跡の中を歩いたり、座って景色を眺めてました。
マチュピチュ①

マチュピチュ②

 なぜ、こんなところに都市を築いたのか、どんな暮らしがここにあったのかを想像して、ロマンを抱きました。
 座りながらただぼーっとしながら考え始めました。

 弾丸でも来てよかったなー。
 もっとここでゆっくりしたいなー。
 世界の美しい景色をもっともっと見たいなー。
 死ぬまでにどれくらい世界の美しい景色を見れるんだろう。
 次に3連休取れるのっていつだろう。。。取れて3連休かよ。
 何かを得るためには、いろいろ我慢って必要なのかな。
 ここに来れただけ、幸せかー。
 仕事はやりがいあるし、天気好きだし、楽しい時も沢山あるんだよなー。
 温泉宿やりたいなー。いつできるかなー。
 稼いだお金、おれは一体何に使ってるんだろ。
 何のためにお金を稼いでいるんだろ。
 そんな事を悶々と考えていました。

 次の日も朝日をマチュピチュでみたいと思い、朝一のバスに乗ってマチュピチュへ。霧がかかっていて、クリアではなかったですが、それでも幻想的な風景を見る事ができました。

朝霧のマチュピチュ

 そして、あっという間に帰路に。
 途中の街までは当日チケットが取れて電車に乗れました。街の名前は忘れましたが、そこからは電車に乗れず、どうしようかなと駅をフラつき始めたら、海外ではよくありますが、立っている兄ちゃんに乗り合いバスに誘われ、安かったし、子供も結構乗っていたので、大丈夫だろと思いそれで帰ることにしました。私ともう一人旅人が乗りましたが、あとは現地の人でした。その旅人が丁度私の隣に座りました。私よりも少し年齢が上のスペイン人の男でした(名前覚えられなかった。。。)。

 クスコまでのバスの時間は2時間くらいだったと思います。
 旅人は我々2人だけだったので、自然に会話がはじまりました。最初はお互い不安もあったんでしょう、クスコに行くのか?と質問され、Yesと答えた。
この時、安心したんですよね(笑)、きっとスペイン人も。何か事件があってもたぶん2人で逃げられるという安心感(笑)

 それから、今回の旅の話になり、彼は南米をいろいろ旅をしていて、1ヶ月過ぎていて、このまま下って、マゼラン海峡に行く予定でした。はじめは彼の旅に興味があり、私はいろいろ質問をしていました。どこにいった?どこが綺麗だった?など。一通り聞いた後、スペイン人がこの後はどこに行くの?と聞いてきたので、私は今日が最後の日で、このまま日本に向けて帰るんだという話をしたら、彼が言いました。

 「このまま旅を続けて、一緒にマゼラン海峡行かないか?」

 私はこの問いかけに、自分の心が揺れたのを鮮明に覚えています。
 やべっ、面白そう、なんだそれ、行きたい!!!!

 すぐに我に返り、「行きたいけど、仕事があると答えました」
 彼も誘いは冗談半分だったと思います。

 ここからは会話形式で(S:スペイン人の旅人、Y:Yuma)

 S「今回の旅はどれくらいの日程なの?」

  嘘言おうかと思いましたが正直に話ました。
 
 Y「3泊6日」
 
  俄かに信じられないような顔をされ、私の目を見続けて
 
 S「日本から?」
 
 Y「はい」
 
  彼は手を頭にやり、少し呼吸を置いて、再び私の目を見て言いました。

 S「Are you stupid ?=おまえは馬鹿か?」
 

 はっきり目を見て言われました。馬鹿(笑)

 人生を変える一言って、あるんですよね。
 私はこの一言が、胸にぐさーっと電撃が走ったように突き刺さりました。そのスペイン人の目が、怖くはないんですが、とにかく力があり、あの目を忘れられない。
 
 そして、「Yes, I’m stupid」 と答えたのを覚えています。

 それを言いながら、自分が馬鹿であることに気づきました。
 あ、おれって馬鹿だなと(笑)
 
 その後はこの話は終わり、確か日本の文化とか、そういう話をしたと思います。あまり記憶にありません。会話しながら、会話とは別のことを考えていたからだと思います。その別のこととは、自分の人生についてでした。

 我慢して我慢して、それで少し解放されて、取った休日が6日間。
 これが10年勤めて最長記録。
 この先、どれだけいろんな事を我慢するんだろうと。
 我慢の先に何があるのだろう。
 我慢して仕事して何が残せるのだろう。世の中に貢献できるかもしれない。
 でも何を残せるんだろうか。
 てか、残せる事とか考えてもあまり意味ないんじゃないか。
 先の事なんて、誰もわからない。
 ずっと我慢ではないにしろ、やりたいことをやれずに、死んでいくのか。
 定年後まで待つのか?いつだよそれ。
 その時生きてるのか?自由にできるのか?体力あるのか?お金あるのか?
 自分が好きに生きていながら、世の中に貢献できることは沢山あるよ。
 というような事が頭を駆け巡ってました。

 そして結論
 「自分の時間は自分でコントロールしたい」
 「先の事なんてわからないから、もっと今、この時間を大事に、自分が大切にしたいことを中心に考え、気持ちの赴くままに素直にやりたいことをやりたい」
 
 そう考えたら、会社勤めしている限りこれはできないと思い、半年以内に会社を辞める決意をしました。
 なので、転職という視野は一切なかったです。今の日本企業では、上記の2点を実行できる場を私は知りません。よって起業は必然でした。ちなみに、馬鹿と言われたあと、バスの中で自分はすでに頭の中に、「退社」という文字が浮かんでました。帰りの飛行機はすでに退社までのマイルストーンを考えてました。いつどのタイミングでどう辞めるか。立つ鳥跡を濁さず、円満に退社するためにはどうすれば良いのか。期中がいいだろう。それまでに今期の東北の売上計画の目処を立てよう。などと。

 決断する土台は前回のブログ記載したようにすでにできていたからこそ、スペイン人の一言が、一歩を踏み出す後押し(勇気付け)となり、決断に至りました。いつかありがとうと言いたいけど、名前も覚えてないし、写真も撮ってないし、もう会えないだろうな。。。

おまえは馬鹿か?

 「おまえは馬鹿か??」

 この先は実際に辞めるまで、辞めた後どのようにこのGuesthouse Raichoに至ったかを何回かに分けて紹介します。

 補足(要らないかもしれないけれど)
 あくまでもこれは私がいろんな背景があって感じた「馬鹿」です。
 何事も一生懸命はとても素晴らしいこと。時に我慢も必要。多くのリーマンがいなければ今のこの世の中は存在しない。
 大切にしたいことは人それぞれ。それを大切にするために、人には様々な道があると思います。
 
 GWが近づいて来ましたが、お休みとれてますか?
 話せてないエピソードもまだありますので、知りたい方は是非Raichoへ。GWに飲みながら話しましょう!!

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人生の転換点前編 東北・仙台時代

今回からいよいよ脱サラ&起業の道に進んだ背景や過程について何回かに分けて詳しく書いていきます。

前回のブログでも記載しましたが、以前勤めていた会社は震災後の東北、仙台に私を導きました。会社の中の立場にも変化があり、東北6県の営業を統括するリーダーとして赴任しました。小さいチームながらも部下(この言葉はあまり好きではないが)もできました。

震災から半年ほど経ってはいましたが、赴任してからすぐに東北の沿岸部を一通り回りました。


まだ震災から手付かずの場所で瓦礫の山になっているところが沢山ありました。家族が被災した、身内が亡くなった、家が流されたという方にも何人もお会いしました。

東北には3年と3ヶ月いました。
私が震災後の東北のためにできたことは無いに等しかったと思います。
しかし、私が東北から得られたことが山ほどありました。
それらを詳しく紹介したいと思います。

・直向きに大切にしたいことに向き合って生きる
まず東北の人たちは我慢強いなと感じました。
気候の要因もあるのかもしれません。厳しい冬を乗り越える忍耐力が必要だからかもしれません。

物事をそんなに言わない、望まないんです(もちろん全員ではありません)。
あれだけ破壊されてしまった街が、課題を抱えながらも、乗り越えながら、今もまだまだ復興過程ですが、人々の手で少しずつ少しずつ街が再建されていきました。
 そのみなさんの直向きに前を向いて生きて行く姿を間近で見て、私は人生で大切にすべきことって何なんだろうと考えさせられました。
東北の人たちには、人生で大切にしたいことがあったんだと思います。もしくはこの震災を経て改めて気づいた人も多いのかもしれません。
 
 被災者の多くは今回の津波があっても、故郷の元いた場所に住みたいという思いがありました。実は仙台に3年間いた時には、私はその気持ちが良くわからない時がありました。
 山を削って、嵩上げして土を盛って、防潮堤作って。そこまでして、自然の猛威にもう一度晒されるかもしれない場所に住みたいのかと。
 しかし、この乗鞍に移住してからはその気持ちがわかる気がします。東北は自然が本当に素晴らしい。太平洋沿岸は美しい海と自然とマッチした古き良き日本の漁港が沢山あり、山も沢山ありました。海と山の恵みを日頃から得られるその土地に住むことは、不便で厳しい環境であっても本来の自分でいられ、幸せなことなんだろうと。

 
 そう考えると、原発事故の被災者には、さらに胸が痛みます。
 津波に加えて放射能汚染。
 国や行政は帰還を進めてますが、自然災害の危険とはまた別ですよね。
 津波の場合は、ここに住めば津波に襲われる可能性があるってのは、ハザードマップなどでわかります。しかし放射能はいろんな情報があり、何が真実なのか、何を信じればいいのか、よくわからないってのが正直なところなのではないでしょうか。だから、まだ自主避難を続ける人の気持ちが少しわかる気がします。
 
 「自主避難が自己責任」という言葉には驚きました。
 今回の原発事故は、原子力政策を進めた国と東電に責任があり、被害者が居住・避難・帰還のいずれを選択した場合でも、国が支援を行うって法律で決めたにも関わらず、国は「福島県を通じて支援する」という形で、役割が終了したかのようなスタンス。そして自主避難者を自己責任という。今回の原発事故に限らずですが、仮にもし事故や事件の終わりを決められるとしたら、それは加害者ではなく、被害者ですよね。自主避難を国や東電にさせられたにも関わらず、避難していることが自己責任だと。大臣が他人事で復興ができるんでしょうか。
 福島の原発事故の被害者のみなさん、我慢せず、怒って下さい。 

 おっと、本題から離れてしまいました。失礼。ここで止めときます。

 東北の人たちはお祭り好きです。
 短い夏に多くのお祭りがあり、市民が主役となってその祭りを作っていく。東北の名だたる祭りに行きましたが、人々が本当に楽しそうに踊ったり、実演する姿がとても素晴らしく輝いており、羨ましかった。

盛岡さんさ[caption id="attachment_589" align="alignnone" width="700"] 仙台七夕
[/caption]
秋田竿灯祭り

青森ねぶた

 東北ではほとんどの仕事が季節と関わりがあります。仕事が自然と密接に関わっているということです。
 それぞれの季節を感じながら普段の生活とかけ離れない、むしろほぼ一体となっている仕事をしながら、仲間や家族と遊んだり、年のイベントや祭りに一緒に参加する。そこには目立たないながらも小さな幸せが私には見えました。
 
 震災後の東北の人たちと関わる中で、私は人生で大切にすべきことって何なんだろうと考えるようになりました。
 別に大きいことをする必要はない。別に目立たなくてもいい。仕事に大きい小さいはない。かっこよくなくてもいい。そんなに無理してお金を稼ぐ必要はない。直向きにシンプルに大切にしたいと思うことに向き合って生きていくことの方が、素晴らしいのではないか。と。

・自然と温泉の魅力を再発見した
 以前のブログでも書きましたが、仙台という土地に住み、東北6県を毎週グルグル回っていたこともあって、自然が身近になりました。
営業先も山の中のダムとか、田舎の自治体に行くことも多く、道中含めて、仕事の中でも東北の自然の風景を目にするようになり、休日も山が近かったので時間を見つけて山やスノボに行くことができるようになりました。

 自然にいる時間は、先に述べた大切にしたいことを考えるとても良い時間となり、会社勤めで仕事に一心不乱に向き合っている中で、見えなくなってきていたものが、少しずつまた姿を現してきました。もっともっと美しい景色を見て、自然で遊びたいという想いが湧いてきました。

そして温泉。休日に泊まりでも行きましたが、出張先の街に温泉があることもよくあり、仕事が終わってから立ち寄り湯なんかもよく行きました。

酸ヶ湯温泉

青根温泉湯元不忘閣

 東北には名湯が沢山あるのですが、その近さと温泉の泉質の良さで何度も通ったのが、仙台市内から30分の「明日の湯」。後輩(部下)たちを連れて何度行ったことか。
 お気に入りの温泉はいくつもあるんですが、一つあげるとすれば、福島の高湯温泉。乗鞍高原温泉と同じく硫黄泉。生命の源とも言うべきでしょうか。高湯温泉(特によく言ったのが、日帰り入浴施設のあったか湯)に入ると、リラックスはもちろんのこと、見えないパワーをもらえました。
 温泉のリラックス効果って、ほんと凄いですよね。東北の3年間でこの魔法のような自然の恵みである温泉の虜になっていました。
そして、このようにパワーを与えられる場を作りたい、もっと温泉を身近にしたいと、元々の夢である温泉宿をやりたいなという思いが湧き立たっていきました。

・人を変えることはできないけど、変われる
 立場が変わり、東北という場で後輩(部下)とチームを組んで仕事をする中でわかったことが、「人を変えることはできない」です。
ただし、「変わることはできる」というのが私の考えです。これはまた次のブログにもつながりますが、まずは前半部分の「変えることはできない」の部分を書きます。

 会社の目標があり、東北のチームの目標を定め、そして個人の目標を定め、それに向けてチームの皆で仕事を進めていくわけですが、その目標を達成していく過程には様々なことがあります。私はリーダーとしてチームの計画の履行責任があるので、私個人の目標だけでなく、後輩たちが目標を達成するためのフォローをする必要がありました。組織的に提案を後押ししていくというようなチームプレイはもちろんですが、期日までに仕事ができないとか、計画を立ててもそれが実行できないとか、提案の仕方がわからないとか、お客様の言っている事の本質が理解できていないとか、お客様からのアクションを放置してしまっているとかの日々の細かいフォローもあります。

 一般的には上司と部下の関係では多くの場合、このような日々の細かい事項のフォローとして、具体的なアクションのサポートに入ると同時に、精神論で諭すような形で接してしまいます。私も未熟さからそういう時が何度もありました。私が仙台の3年間通して、後輩たちと密に接する中でわかったことは、後者の精神論はほとんど意味がないということでした。

 上司であれば、部下の成長はチームの成長につながるため、部下を成長させたいという想いを持ち、成長させるためには、部下のこの部分を変えた方が良いと思ってしまいます。しかし、人は見ている景色がそれぞれ違い、興味も人それぞれ、仕事に対する想いの度合いも人それぞれなんですよね。なので、どう成長したいか=どう変わっていきたいかやチームのゴールや目標を共有できていたとしても、それを実行するモチベーションと気持ちの重さはその人次第になってしまうのです。だからこそ、人が変わるのは、その人が変わる行動を取れるかどうかであって、その人を変えようと思って他人があーだこーだ言ったところで(特になんでできないの?なんでやらないの?っていう責めの質問は無意味)、その人は変わりません。ただし、その人が変わるためのチャンスをさりげなく準備したり、勇気付けは大切で、リーダーがチームに対してできることだと思います。

 そして、リーダーであれば、フォローももちろん大切ですが、例えばチームの計画達成は、個々に目標は立てるけれども、最終的なチームとしての目標達成はリーダー自身が一人でも達成できる計画を立て、それを実行して結果を出すことが重要なんじゃないかと。
やっぱりリーダーは背中を見せて、人間的に憧れる存在になることが重要なんじゃないかと思います。私がそうなれていたかは自信はないですが(笑)。
人は近ければ近い人間にほど、期待を込めて多くを望んでしまいがちです。そして期待通りにならなかった場合、がっかりしてしまい、最悪の場合、その人を責めて、お互いの信頼関係が薄くなっていき、関係が悪くなります。

 「人を変えることはできない」と気づいてから、「期待しない」というと物事を悲観的に捉えているような印象になってしまうので少し言葉を変えて、私は他人に「”ちょっとだけ”期待する」ようになりました。人だけでなく組織とか行政とかも。
結局自分の運命をコントロールできるのは自分なんですよね。今がある、未来の結果は自分がどう行動するかの結果であり、できないことを他人のせいにしたり、他人に期待し続けても、あまり現状は変わらないんですよね。ただし、ちょっとだけ心の奥で期待はします。でもちょっとだけなので、期待通りにならなくても仕方ないかって思います。その方が人間関係もうまくいくんじゃないかって思っています。

 誤解なきよう、仙台の後輩たちはとても良く仕事をしてくれて、むしろ私が未熟なリーダーですみませんでしたって思ってます。
 私は彼らと一緒に仕事をすることで、自分の人間としての未熟さに気づき、成長できる部分がありました。なのでむしろ感謝。
そして、この未熟な私にいつも付き合ってくれて、大変なことも沢山あったけれどいつも笑いがあり、10年間の会社勤めの中で一番楽しい3年と数ヶ月でした。特に長い時間をチームとして一緒に過ごしたTとMありがとう。そして短い時間だったけどWとSもありがとう。仙台の経理のHさんもありがとうございました。
 彼らは私にとっては家族のような存在です。これからも年に1回は同窓会のような形で会いたいなと思っています。

仙台時代の後輩TとM

 そんなこんなで長くなりましたが、東北・仙台での生活が、私が人生において大切にしたいことを考えるきっかけとなり、会社の中での立場が変わったことで人間としての未熟さを痛感して、成長できる部分がありました。
 そして今思えば、このような経験を経て、30代になるという年齢的な部分もあるかもしれませんが、私自信の物事の考え方や信条が変わってきて、私が自分自身の人生を大きく変えるための行動に出る下地ができていたのだと思います。

 そして人生を変える最終的なスイッチを入れたのは2014年5月のGWに弾丸で行ったマチュピチュの旅なのですが、その話は後編で!!
 長くなってすみません。ここまでお読み頂きありがとうございます!!

 GWと言えば、GWも4月29日、5月3日は満室となっておりますので、もし美しい新緑の乗鞍・上高地へ行きたいなと思っている方は、
 お早めにご連絡下さいませ。春の情報は以下も参照下さい。
 春のハイキングトレッキング情報 乗鞍高原・上高地

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千葉社中

今日はゲストハウスやオススメのライフスタイルの基本的な考え方となる
「シェア」について書きたいと思います。

以前のブログで香港時代について記載したと思います。
約2年半の香港駐在と、シンガポール支社の立ち上げのため、3ヶ月シンガポール滞在をした後、自分は2010年の4月から拠点を日本に移して東南アジアの営業担当をすることになりました。

日本に拠点を移すとなった時に、私がまず思ったのが、「一人で住みたくない」でした。
その理由は、
・香港は家賃がとても高く、若い人のルームシェアは普通であり日本でももっと増えて良いと思った
香港で困難なことにぶち当たった時に、一人でいる虚しさが身体に残っていた
・ルームシェアがカッコイイと思っていた(当時はまだテラスハウスとかもやっていない)
・一人では住めない、豪華なマンションに住みたいと思っていた
・海外出張が多かったので、一人で住むのも勿体無いとも思っていた

まだまだ若い頃だったので、ノリや格好良さみたいなところに憧れていたところも多いと思います(笑)

そして、ルームシェアをしたいと思った時に、真っ先に頭に浮かんだ2人がいました。
高校時代のスカバンドのメンバーであるSさんとSくんです。ちなみに大親友のI氏もスカバンドのメンバーでその時すでに既婚。
そして、早速電話をして、即答でOKをもらったと記憶しております。
※「記憶しております」というと今の国会答弁みたいですね(笑)

そして、3人の勤務地から千葉駅周辺で物件を探しはじめて、ある物件に出会いました。
その物件は京葉線の千葉みなとにある新築のマンションでした。
オーナーが新築のマンションを購入したが、海外赴任が決まって住めなくなったので2年間の賃貸に出したいという物件でした。
4LDKの新築マンションに住めるなんて、願ってもないチャンス。そしてスーパー目の前。スピード契約でした。

そして、3人のルームシェアの生活がスタートしたのです。

書き出したらキリがないので、一言で言うと、
とにかく楽しすぎた。なんていうか、20代後半に第二の青春時代を過ごしたというんですかね。

3人の根本にある信条というか、興味みたいのもほぼ被っていたからかもしれませんが、3人がいると笑いが絶えず、共通の興味のある話題で話が尽きませんでした。
私は海外出張が多かったので、月の半分以上は部屋を開けていました。
忙しかったので、朝も早くに出るし、夜も遅かったので、そんなに多くの時間を3人で共有していたわけではないのですが、心が通じ合う仲間が同じ屋根の下で暮らしているという安心感に心が満たされていました。


たまに3人で食べる社中飯

ルームシェアというといろんなトラブルがあるんじゃないかって思うかもしれません。確かに全くなかったとは言いませんが、それぞれが多少なりとも不満も持っていた部分もあるかもしれませんが、なんていうんですかね、根本的に、例えばその人の良いところと微妙だなと思うことをそれぞれが認めているというか、完璧な人間なんていないから、良いところを見ようとする姿勢と、微妙だなと思うところは、その人が自然に気づくような計らいを自然にしていたような気がします。言葉選びもみんなとても上手かった。
言葉選びが上手いというのは、それぞれに対して思いやりがあるということなのかもしれません。

思い出はこの辺にして、そこから何が見えたかという点でここからお話します。

持論ですが、一人暮らしという経験は必要だと思うが、そんなに長くなくて良いと思います。

経験として一人暮らしは重要だと思います。親の有り難みを知るとか、経済的な自立とか、生きる術を身につけるとか。
ただ、それをある程度経験として得たら、できるのであれば一人暮らしはしなくて良いのではないか、と思います。
もちろん一人暮らしが好きだという人はそれで良いと思います。

なぜそう思うのかというと
・やはり一人暮らしは孤独であり寂しい
→それが時に良くない方向に進んでしまうこともある
・光熱費等の生活費の負担が減る
→それぞれの基本料金が不要であるので必然的に一人当りの光熱費が減る
・一人では不可能なことがシェアすることで可能になることが多い
→いろんなシェアの状況によるが、協力関係の元、例えば以下のようなことが可能になる
一人では住めない場所に住める
誰かの買い物の時に、何かを買ってもらえる
知り合いが増える
誰かのついでに物事が片付くことがある
疲れて帰ったらお風呂が溜まっている
などなど、挙げたらキリがないくらい小さいこともたくさんあります。

ちなみに、休日がはっきりとずれている場合、帰って来るルームメイトのために食事を作りたいという気持ちが湧くんですよね。
不思議ですね。一人暮らしをしているとどうしてもコンビニ飯とかで済ませてしまう自分が忙しい中、自炊に時間を割いたりしました。

このルームシェアの生活から言えるシェアの利点とは、
・助け合いや協力関係が日常生活に存在する
・環境に良い(言い過ぎでもないですよね!?)=無駄な消費を削減できる
・ついでに片付くことが多い
・お金の節約につながる
・そして楽しい


スコーンが好きだと言ったら、後日食料品の引き出しに大量購入されていた件

ただし、これらの前提には、相互信頼が必要ですね。
ここが難しかったりするわけなんですが。この件は後ほどもう一度触れます。

逆に自分はほとんど感じませんでしたが、一般的なデメリットとは、
・プライベート空間が減る
・ルールやお互いの協力関係のために生活に縛りが生じる
・金銭的なトラブル、生活の中でトラブルが発生する場合がある

ここはルームシェアする人とどのように信頼関係を作り、その信頼関係の中でどうルールを決めるかに寄りますね。

次にゲストハウスやライフスタイルという観点に話をつなげたいと思います。

ゲストハウスとは、素泊まりを中心とした宿泊施設です。
そして、その中心にはやはりシェアという考えがあります。
例えば、
Dormitoryという相部屋
部屋もシェアしていまうという考えで、宿泊費が抑えられる
共用キッチンスペース


Raichoのゲストキッチン

自炊の基本となる調味料を個々に買わなくて良い
調理器具や食器がいろいろと使える
みんなで使うという意識の元、ゲストが綺麗に使おうと心がける
余った食材や個別に買った調味料などを次のゲストに残していくことがある
雰囲気で作った料理をシェアして小さなパーティーになることがある
・施設全体がセルフサービスを基本となる
そもそもゲストハウスを利用する人は、協力して宿泊するというスタンスで宿泊する方が多い
Guesthouse Raichoの施設詳細は以下を参照下さい。
Guesthouse Raicho

などなど。
そしてこのような宿泊形態だと、ゲスト側は基本サービスのみで後はオプション追加のため、安価で宿泊することができます。
宿側はサービス提供の負担(労力・仕入れ等)を減らすことができます。
ただ、気をつけなければならないのは、宿側は1人当たりの売上が1泊2食よりも低いことです。よって回転率を上げなくてはなりません。
なので単純に現在1泊2食付きの宿がB&Bなりゲストハウスのような形態にすると、仕入れコストや人件費は減るかもしれませんが、何もしないと売上は下がります。この点はまた別の機会で述べたいと思います。

ライフスタイルの観点で言えば、
消費を促進することで経済活動を活発化させようとする人たちからは、同調を得られないと思いますが、どんどんシェアする方向で動けば良いと思います。
企業がお金を稼ぎ、消費させるため、世の中便利になりすぎていて、サービスも行き届きすぎだと思います。
ほんとにそれって個々に保持する必要があるの?そんなに便利な必要ってあるの?ってものが世の中には山のようにあるのではないでしょうか。
すでにある部分でシェアがはじまっている部分もありますが、もっともっと進んでいいと思います。

ルームシェアはもっといろんな形態があっていいのではないでしょうか。
マンションとか、アパートでも共用部分とかもっと増やした家があっても良いと思うのです。

例えば大学生の一人暮らしのアパートに、それぞれ個別のキッチンとバス・トイレってそんなに必要かな?って思います。
個々のプライベート部分は上手く作って、あとは共用にしてサービスアパートメント的なサービスがあるようなアパートがもっとあっていいと思う。
就職したての若い社会人なんかは、個々の部屋にキッチンよりもおしゃれなパーティールームのような共用キッチンがあるといいかなって思います。
寮というと、なんだか古臭くて、いろんな縛りがあったり、体育会系の匂いがするので、そうではない形態に進化させて、何か別の言葉で言い換えた方がいいですね。

若いファミリーに合うようなルームシェアの形態もあって良いと思う。そうすると子育ての際の何かの負担が減るとか。
施設とかではなく、高齢者のルームシェアももっとあって良いと思います。
もちろん、前提には人の考え方とか生活習慣はそれぞれ違うので、いろんなルール作りや、快適に過ごすための工夫が必要だと思いますので簡単にはいかないと思いますが。

また田舎暮らしにおいても、若い人がまずはルームシェアからはじめていくというのもありですよね。
仕事を見つけてから来るというのも大事ですが、その場にまず身を置き、そこで好きなことをしながら仕事を考えるというのもあり。
そのために、まずはルームシェアでお金の負担を減らすとか。

そしてちょっと違った観点でのシェアしたら良いこととして、

・コンビニの24時間営業
道路挟んで反対側のコンビニがそれぞれ夜通し営業する必要性はない
・話題の宅配業者
僻地は業務提携などしてそれぞれが運ぶ必要はない
・移動手段
道路運送法は置いて、同じ目的地に行く車をもっと共有したい
・除雪車
今年の冬のために購入しましたが、高かった。。。

などなど、いくらでも挙げられますね。

ちなみに宿と宿で考えられるシェア
・送迎
僻地はとにかく不便なので行政等に交通手段を整えてほしいと要望したがりますが、私はまずニーズがある宿から送迎シェアなどをはじめて、具体的にビジネスになりそうだったら交通手段を整えるという形が理想だと思います。Raichoといくつかの宿で今それをはじめようかとしているところです。

ピークシーズンには毎日高山からのゲストを親子滝バス停に送迎している

・食事作り
個々の宿の仕込みはめちゃくちゃ大変ですよね。
技量もないし、大変だとわかっていたので旅館食のような形態はやらないと決めました。共同で食堂なりレストラン経営とかもありですよね。

・スタッフ
繁忙期は無理かもしれませんが、それほど忙しくない時に、あっちの宿で忙しくて、こっちは暇だという時のスタッフの融通
ちなみにこれは宿と宿だけではなく、地域が小さければ仕事のシェアもいろんな形が取れそうですよね。

などなど。

このように述べる様々なアイディアが浮かびますが、先にも述べましたがシェアするにはシェアする相手と相互信頼が必要ですね。それがないとトラブルの元ですね。
ちなみに、私の経験上ですが、相互信頼を築くためには、まず自ら手の内を明かすということが大事だと思っています。
実はこのブログも私の手の内を明かしている手段の一つで、読者の皆様と相互信頼を築く一つの方法であったりもします。
ただ、一方通行の部分もあるので、私が明かすことで、次に相手が明かしてくれるのを期待することになります。
そして相互信頼は、その人が大切にしていることを互いに共感するとどんどん深まっていきます。

最後に、ルームシェアの話に戻ると、
震災の年の夏に、私が仙台赴任を命じられたがために、私は1年半のみで先にルームシェアを辞めざるを得ませんでした。
本当はもっとこのルームシェアを続けたかった。
しかし、東北で何か役に立つことがあればとの思いで、私は震災後の仙台に行きました。

親友のSさん&Sくんには、この場を借りて当時私の提案を快く受け入れてルームシェアをしてくれて本当にありがとうと言いたいです。
我々は、熱い議論が交わされていたルームシェアのマンションの部屋を亀山社中に準えて、千葉社中と言っていました。


Sくんの結婚式の千葉社中3人組

将来、親友のみんなやその家族と近くに住んだり、新たなルームシェアの方法などで、多くの時間をもう一度共有できたら最高だなと夢見ています。
縁側でお茶を飲みながら、毎日世間話をしたり、ゲートボールしたり、バンドやったり、そんな時間です。
人はなりたい自分にしかなれない

では、また次回。

Mt乗鞍スノーリゾートは4月9日までの営業です。
まだまだ雪もたっぷりですので、もう一度滑りたいという方、お待ちしております。
以下の写真は3月23日に撮影したものです。


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白馬はどうなのか!?

今日はインバウンドの視点も入れて地方観光地の今後について思うことを記載します。

3月16日、白馬の栂池高原、八方、五竜、47と白馬駅前のオーストラリア人経営のハンバーガーとピザ屋を1日で廻ってきました。
最近、いろいろ今後について語っている乗鞍ローカルのS君と一緒に行ってきました。目的は半分遊び、半分視察です。

視察の目的は白馬が外国人スキー&スノーボーダーで大盛況と聞いていたので、この目で見てみたかったからです。

1日だけの視察で一部しか見ていないので、何かを述べるにはまだ情報収集が足りません。なので、あまり大したことは言えないのですが、それでもいくつか得られたことや感じたことがありましたので記載します。

3月中旬平日の白馬はかなりガラガラでした(そんなにMt乗鞍と変わらない)。
白馬駅前のピザ屋(オーストラリア人経営者)から聞いた話によると、白馬を訪れる外国人は12月のクリスマスから2月中旬までで、それ以降はあまり来ないとのこと。実際我々が行った各スキー場も日本人が95%以上。
ただ、冬期シーズンだけで、オーストラリア5万人、それ以外の外国人は2万人が白馬に訪れるとのことなので、ピーク時にもう一回見ないとその賑わいはわからないですね。

【街並について】

白馬は学生時代や社会人の時に来たことがありますが、ほぼ10年振りでした。
白馬が成功してるとか、変わったとか言われてたんで、どれだけ凄いことになってるのか、期待していました。
ところが、確かに外国人向けのお店が増えたり、英語の看板などが多くなったけど、店舗数とかあまり変わってないと思います。お店や宿泊施設の建物の多くは、どこもバブル時代の古い建物のままで、結構ボロボロの空き家も多い。駅前とかスキー場近くの通りも、時代が止まったままな印象を受けました。そんな中で外国人観光客を目当てにした看板や建物の設えがところどころ見られる。
正直なところ、そんなに魅かれる街ではありませんでした(白馬関係者いたらすみません)。

【スキー場について】

時期が時期なのかもしれませんが、雪質はトップの方だけはまぁなんとか良いなと思いましたが、中間から下はシャリシャリのザラメ。ボトムが1500mの乗鞍の雪質の良さを改めて感じました。

ただし、コースバリエーション、滑走距離、眺望やスケール感、各店の充実、レストランの選択肢の多さなどはやはり魅力的でした。それとスキー場で働く年齢層が若いのも印象的でしたね。

1日さらっと見ただけではほとんどわかってないのかもしれませんが、外国人スキーヤー、スノーボーダーから人気が出て、冬季の賑わいは少し取り戻したものの、白馬も抱えてる問題は他の地方観光地とあまり変わらず、まだ模索中なのかなという印象です。
白馬駅前のピザ屋(オーストラリア人経営者)さんは、「夏場の白馬は良いところだけど寂しいよ」と言ってました。
グリーンシーズンの白馬はまだまだ厳しい状況のようです。

地方観光地が抱えている問題とは(冬季視点で)
1.人口減少・高齢化
 →地方に住む人口が減ることで、街の賑わいが薄れていく。宿やスキー場運営の担い手が不足する。空き家が増える。
2.若者のスキー・スノボ離れ
 ある調査によると大学生で2016年にスキー・スノボに行ったのは7.4%しかいなかった。。。
 →平日、スキー場に来るのは、乗鞍で見ると定年後の60代クラスを良く見かけるし、白馬でも見ました。それと学生。
  60代クラスの人たちはどんどん減っていく、そして若者はあまり来ない。
3.平均年収の減少、若者の貧困
 →ウィンタースポーツはお金がかかるので、収入が減るとスキー・スノボをするハードルがあがります。

どれも頭の痛い問題ですね。。。

そこをカバーするのが、インバウンドなのでしょうか??

Raicho Kamikochi Snowshoweing tour
私は半分Yesで半分Noだと思います。
ある程度観光客の減少をカバーできるかもしれませんが、そこだけ注目しているだけでは、街の活気は取り戻せないと思います。
白馬は先に述べた通りまだまだ街の活気を取り戻しているとは言えないと思います。
そして、ただ活気があれば良いというものでもなく、「憧れる街」を目指す必要があるのではないでしょうか。
現在の白馬の街は、古びた日本と外国の雰囲気がごちゃごちゃしている印象です。

オーストラリア人のピザ屋の経営者が言ってました。
「外国人はパウダーや白馬のようなビックリゾートも求めているけど、Real Japanも求めている」
要するに、白馬はReal Japanではなく、外国人向けの観光地化しているということです。
これはニセコにも言えると思います。ニセコは日本とは思えない場所になってますよね。
私が白馬の街に魅力を感じなかったというのは、その部分でした。
白馬も今後どうしていくかは皆さんでいろいろプランを立てているのだと思います。

それと、通年コンスタントにある程度の賑わいがあるのも重要ですよね。
後で述べますが、観光客が来るというのも大事なのですが、やはり地方はそこに住む人がいなくては成り立ちません。
白馬の例で言うと、冬は雇用がありますが、夏は雇用が減る。要するに季節労働者に頼らざるを得ないということです。
そこに住むとなると、通年の仕事がある必要があります。
例えば、若いファミリー層が田舎に住みたいと思ったら、子供を養うだけの安定した収入も必要になるでしょう。
私の場合は、そういった意味でいうとかなり腰が軽く、どういう状況でも対応できちゃう感じですけど(笑)

白馬は夏のグリーンシーズンの売り込みに躍起になっているのだと思います。
スキー場のポスターもほとんどが冬ではなく、夏のPRが中心でしたね。
ゴンドラのアナウンスなども如何に夏の白馬が綺麗かを伝えていました。
私も予約サイトを使っているのですが、夏のピークで乗鞍・上高地付近の空室を探すと白馬の宿泊施設が出てくるんです。
これは、乗鞍・上高地に空室がないため、空いている近場ということで(近くもないけれど)白馬が出てくる。
要するに白馬の夏はホテルは供給過剰状態ということですね。

冬は真逆の現象が起きています。乗鞍は空室が目立つ。
乗鞍は通年楽しめる場所なんですが、冬が弱いのです。冬の乗鞍、ほんとに素晴らしいんですけどね。

ここは最高だと言っていたマレーシアからのファミリー

さて、先ほどの半分Noと言った部分(すべてインバンドでカバーするのかというところ)ですが、実は一番言いたいことはここからなのですが、結局、地方観光地が抱えている問題の対応として一番重要だなと思うのが、若い世代の人たちから「憧れる街になる」になり、Iターン、Uターンを増やすことだと思います。それと若者の観光客ですね。

善五郎の滝、ナイトスノーシューツアー
若い世代の移住者が増える、生まれ育った人たちが帰ってきたいと思う、憧れる街であえば、様々な問題が解決されます。
今波が来ているインバウンドへの対応はそれをするための一つの術と捉えた方が良いのではないかと思うのです。
インバウンド、インバウンドとなると、=外国人観光客を増やすとなりがちですが、目先の観光客増への対応をしつつも、やはり若者が憧れる街となり若い人のIターン、Uターンが増えるような街作りをしていく中で、インバウンドを考えていけば良いと私は思います。
外国人向けの観光地化をするのではなく、本来の日本の田舎らしさを残し(一部もう一度整備し)、埋没している魅力を掘り出し、それを磨いていくことで、そもそも地域の魅力がアップして、Iターン、Uターンが増える。そして外国人観光客がそれを体験したり、見ること、理解しやすくすることが重要なのかなと思います。それがReal Japanですよね。
私は街作りにも昔から興味を持ってますので、その辺も少しずつ何かできることをやっていけたら良いなと思いつつ、田舎暮らしに興味がある人の支援ができたら良いなとも思っています。

なお、これらの具体的なアイディアは乗鞍ローカルのS君を中心に今いろいろ練っていますので、こちらのページでも紹介できるタイミングが来たら紹介していきたいと思っています。

さて、最後に冬の乗鞍ですが、3月下旬になってもまだ氷瀑の滝を見ることができます!!
こちらは3月18日(昼)の善五郎の滝です。

こちらは3月19日(夜)の善五郎の滝です。

都会では桜が咲く頃ですが、まだ冬を楽しみたい方、お待ちしてます!!
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香港時代 若いうちは苦労を買ってでもした方が良い!?

昨夜、とても嬉しい再会がありました。
去年の秋に来てくれた香港からのゲストがまた来てくれました。
会いにきたよ、っと。そして、帰りがけにまた来るね、っと。

旅程の通過地点だったとはいえ、友達のようにそう言ってくれた彼らになんかジーンときちゃいました。

そして、香港時代について少し書きたくなりました。

私の場合、苦労を買ったというか、厳しい環境に飛び込んだとでも言いましょうか。でもその厳しい環境のお陰で間違いなく今があります。

私が就職した会社は、当時は今ほど有名ではなく、ベンチャー企業のような会社でした。それに憧れて会社を選んだというのもあります。
前回のブログでも書きましたが、早くイケてるサラリーマンになり、ブイブイいわせたかった22歳。
仕事内容、商品、企業の雰囲気などもとても良かったのですが、実力主義・年俸制が私の中でのモチベーションでもありました。

入社してからというもの、しばらくなりふり構わずずっと仕事してました。
やらなければならないことも多かったのですが、基本的には自分の意志でそれを選んだので、今、世間を賑わせているものとは違います。他の人はどうかは知りません。
この話題はこれだけでまたいくらでも記載できますが、一方的な物言い、風潮をあまり好みませんが、
ちょっとだけ言うなれば、企業やバブル世代の人たちは、価値観を押し付け、若者を洗脳せず、多様な価値観を認める社会であれば良いかと思います。
そして、休暇を取りやすくしてもらえば良いと思います(この話はここで止めときます)。

大きなプロジェクトを入社2年目秋から1年半くらい任され、それこそ365日のうち、350日は丸1日仕事をしていたと思います。
休日も何かしら仕事の事を考えていたり、アクションをしていたので頭は仕事で埋め尽くされてました。
念のため、これは私がいろんなモチベーションが常にあったからできたことだと思います。

これが今日言いたい厳しい環境(苦労)ではありません。

そのプロジェクトが落ちついてきた頃、私は次なる野望を抱いてました。
それが海外勤務です。

担当していた会社がグローバル企業であったことや、仕事上、海外の人たちと触れ合う機会が多くなっていました。
当時の一番近い上司に、「いつかは海外で仕事をしたい」と言葉に出していました。

人はなりたい自分にしかなれない、というのを一番はじめのブログで記載しましたが、なりたい自分が明確だったのか、日々の選択や巡り合わせが回ってきて、4年目の夏に「香港に行ってくれ」という辞令が降りました。

嬉しくてたまりませんでした。
まず基本的にミーハーな私は、25歳で海外勤務という状況だけで興奮していました。
ちなみに英語は全くしゃべれませんでした。怖いもの知らずの私は、行ってしまえばそのうちなんとかなるだろう、という意味不明な自信で一切その不安を感じずに、ただ、挑戦したいという気持ちで、香港という地に降り立ちました。

はじめの数ヶ月は勢いと新鮮さで乗り越えていましたが、事件は起きました。
香港に来て1年は経ってなかったと思いますが、現地の営業が退職しました。

途中からなんとなくはわかってました。あまり私と合わなかったので辞めてしまうのではないかと。
香港支社は3名だけで、経理が1名、営業が2名でした。そのうちの1人が私、現地の香港人の営業が1名でした。
よって、営業は私1名となってしまったのです。
その辞めてしまった営業とタックを組んで、通訳も頼んでいたのですが、それができなくなるということに。

仕事のボリューム的には私1人でも担当できるような状況だったので、辞めたら誰かを入れるかということにもなりませんでした。
香港の日系企業を相手にしていたわけではなく、90%は香港や中国系企業、英国系企業が取引先でしたので、私一人でそれらの人と対峙せねばなりませんでした。

英語は週1でスクールに通っていましたが、同僚が辞めてしまった時はまだ誰かと話せるレベルではなく、広東語は全く。
そんな若造が、10歳以上離れた香港人、中国人、インド人、イギリス人のお客様とどうコミュニケーションをとれば良いのか。
香港での人間関係も、はじめは仕事しに来ているから無理に友達を作る必要はないだろと、その辞めた営業担当の知り合いなどしかいませんでした。

そんな状況で、お客様のところに電話一本する、そして通うことにもかなり勇気と準備が必要となりました。
香港はライバル会社が、人のセールスをしてくる集団で、ちょっとでもリレーションが薄くなると、お客様を取られる可能性が大でした。
攻め続けなければならない市場の中で、どのようにお客様とリレーションシップを築いていくのか、お客様を取られたらどうしようと、昼夜不安と孤独に悩まされるようになりました。

これが私の厳しい環境(苦労)です。
一時期、休日外に出ない日(出る気力が湧かなかった)もありました。

そこからよしやって行こうとまた覚悟を決められたのは、人のお陰でした。
香港で友人もいなかった私が、たまたま見つけたMixi(懐かしい。。。)のコミュニティーで香港の日本人コミュニティーに勇気を出して入りました。
そしてそこから、香港昭和57会(58含む)という同年代の集まりに参加するようになったのです。
MixiというSNSに感謝しなきゃですね。

いろいろな境遇で香港に集う、同年代。
気兼ねなくいろいろ話せる友人が出来き、ご飯を食べに行き、香港ライフを皆んなでエンジョイしました。
マカオとか、餃子パーティーとか、クラブとか、海とか!?
その結果、自分は気持ちが上向き、今やれることを一生懸命やるしかないと覚悟を決めてまた歩みはじめました。
57会のメンバー、特にD氏とI氏、そしてY氏に感謝します。

 左I氏、真ん中D氏

左Y氏 
(婚約を祝い、自分がフィアンセ役になった写真ですw)

そして、Y氏の結婚式に東京でI氏とD氏と一緒に参加したのでした。
楽しかったなー、あの頃も。またいつかのメンバーで集まりたい。
(本当はみんなの集合写真とかを掲載したかったのですが、掲載許可を取るのが時間がかかりそうだったので辞めました)

英語はしゃべらざるを得ない環境にないとなかなか上達しないですね。
一番大事なのは、私はあなたとコミュニケーションを取りたいという姿勢だと思います。その姿勢を相手が感じ取れば、言語が通じなくても、お互い理解しようと努めるからです。
そして、1通にかなり時間をかけて単語や文法を調べて書くメールでのライティングは、英語を少しずつ上達させました。
また、本当に相手が言っていることを理解しようと集中すると、頭って痛くなるもんなんですよ。
私は訪問先のお客様とのコミュニケーションの後、いつも頭痛で疲労感たっぷりでした。

今もまだ適当な英語ですが、意思疎通できるコミュニケーション能力がつきました。このコミュニケーション能力とは、英語のスキルではなく、先ほどの「姿勢」という意味です。とは言っても、今もゲスト同士の日常会話にはなかなかついていけません。

話を香港駐在時代に戻すと、
最終的には、お客様のところへ行って話すことが楽しくなり、シンガポール、マレーシア、台湾などにもよく行くことになったのですが、シンガポールのお客様などには新規で飛び込み営業ができるくらい、度胸がつきました。
香港から日本に戻る時には、お客様から寂しいな、また会いに来てくれ、と言われ、それが表面上の挨拶だとしても、嬉しかった。


香港は、私を成長させてくれた土地でした。

この香港生活を通じて、得たこととしては、
・人は一人では生きていけないことを悟った
・世界が身近になり、沢山の新しい興味が湧いた
・日本人なら少し感じてしまう、海外の人たちと話す上での見えない壁が一切なくなった
・コミュニケーションはあきらめいないことが大切だということを知った
・多様な価値観と文化があり、正解はないということを知った

さて、副題に戻ります。
あまり苦労話をしても仕方ないのですが、今考えると若かったが故に、乗り越えられた困難だったなと思います。
今思えば、怖いものを知らずに、よくあの環境に飛び込んだなと。
しかし、その結果、得るものがとても大きかった。今思うとほんと香港を経験して良かった。

ありきたりの言葉ですが、
若いうちは、失敗を恐れず、いろんなことにチャレンジすれば良いってことなんだと思います。
よって、苦労は買ってするというより、勇気を出してチャレンジすると、もれなく苦労が付いてくるってことなのかな(笑)
その苦労を恐れない。苦労は絶対付いてくると思っちゃえばいいんです。成長痛とはよく言ったものですが、身長が伸びる時に、膝の下あたりが私も痛くなりました。それと同じように、人間は成長する上で、やはりいろいろな苦労が伴うのではないかと思うのです。
そして困ったら、人を頼ったら良いのではないでしょうか。
何かにチャレンジしている姿を見れば、少なくとも私はその人を応援したくなります。

香港の後の仙台時代にI氏が嫁さんと遊びにきてくれました。
I氏にも香港時代に将来は温泉宿やるから投資してね!!なんて話してたな〜。

今の私もチャレンジの真っ最中。
会社辞めて、起業して、自営業、田舎暮らしというチャレンジをしました。
とても楽しいですが、もちろんその裏には、、、。
でもそれは、決意した時からわかっていたことなんですよね。そんな甘いもんじゃないから、いろんなことがあるだろうと。
そういう気持ちが前提であると、逆に困難な事にぶちあたった時に、「あっ、来たな〜」って思い、よし、これは成長するチャンスだと捉えてます。

起業、田舎暮らしを選んだ自分が、どのような困難があるのかを知りたい方も多いようですので、順々にお話しますのでお待ちくださいませ。

そして、3月のGuesthouse Raichoは3連休以外、まだ空きありますので、冬をまだ楽しんでない方、ぜひ遊びに来てください。
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